PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

Photo by 510

エリア510
Volume 10

(入院+リハビリ)×(音楽+写真)=??

ウラジオストクに続くロケ取材を敢行すべく、コロナ禍が落ち着くタイミングを見計らうための休載宣言が昨年の夏のこと。いったんは収まるかのように見えたコロナですが、時間を経るにつれ再び猛威をふるい始め、気がついてみれば昨年の緊急事態宣言時よりもさらに酷い事態に。先が見通せない状況がまだしばらく続く可能性も勘案して、ここでAREA 510を再開することに致しました。安心してロケ取材を行うには未だ程遠い状況で、フォトヨドバシをご覧いただいている皆さんも我慢の生活を続けておられると思いますが、とりあえずは「祝・復活!」であります。さらに、510さんにとっては二つの意味での復活でもあるようです。それはどういうことなのか? どうやら不運なアクシデントに見舞われてしまったらしいのです・・・

(フォトヨドバシ編集部)

すっかりご無沙汰しています。「エリア510」を覚えて下さっていますでしょうか? 昨年夏ごろのVol.9で「外に出る企画ができるまで休載」と宣言し、面白おかしいことを考えていたのですが、さらなるコロナ感染増大のためにしばらく遠出などできません。それどころか・・・「左膝半月板損傷」の手術で生涯初めての入院を終えてリハビリの毎日となってしまい、遠出が文字通り、本当に遠くなってしまいました。

考えてみますと、Vol.4「510氏、連れ去られる」というウラジオストク紀行が、もし今年の企画だったら、自粛期間中の入院というダブルの理由で中止となっていたのですから、この点はラッキーでしたね。そんな状況ですので宣言を撤回し、皆さんに忘れ去られないためにVol.10をアップ致します。読者の皆さんはリモート業務でお忙しいと思いますが、改めてフォトヨドバシを眺めてみて下さい(と宣伝)。

なお同じ病院におられた患者さん、現在新コロナ治療などで苦しんでおられる多くの方々に比べましたら、僕の現状など軽いもの、ちょっとした怪我に過ぎないことは重々承知しております。以下のようについつい面白おかしく書いてしまいますことをお許し下さい。皆さまには一日でも早く通常の生活に戻られることを、心からお祈り申し上げております。

Vol.9で書きましたように、高校生から卓球、社会人になってからはスカッシュを楽しんでいます。いずれも急アクセルと急ブレーキの繰り返しで関節に負担が集まるようですから、中年を越えると右踝(くるぶし)が痛くなって、それをかばうと次は左踝が痛く・・・などの症状を繰り返していましたが、ここ数年は「右膝」がかなり痛くなっていました。昨年の春頃、コロナ感染の影響で通っているジムがしばし閉鎖されたのをチャンスとして養生に励んだところ、とても調子が良くなり、夏前にはウエイトを持ったスクワットが平気で百回、二百回とできるようになってジムの再開を楽しみにしていました。ところがいざ始まってみると、今度は「左膝」が痛くなり始めたではないですか。考えてみたら右膝も左膝も「同い年」、心配になって9月初めにMRI画像を撮りましたが、特に問題は見つかりませんでした。ま、いずれはこっちも治るだろうと過信し、使っていたサポーターを今度は反対側に巻きつつ、スカッシュを続けていました。

しかしその後の11月中旬、スカッシュをした直後、僕も参加したさる写真展の撤収時、作品を入れたやや重めの段ボール箱を運んだときに、左膝にピキっと激痛、イテ、イテテ、イテテテ・・・。翌日は歩くこともままならず、タクシーで病院に向かってMRIを撮影した結果、「半月板損傷」との診断。症例としてネットに紹介されている典型的な損傷ですので、どこがどうなったのか興味のある方は検索してみて下さい。アスリートの怪我として良く耳にする症状なのですが、手術するまで主治医は「原因はかれいだ、カレイだ、加齢だ」の繰り返し、そうですよ~確かに年寄りですよ~そんなに言わないでくれないかな。しかし手術時に「関節鏡」なる道具で軟骨の摩耗を含めて観察して分かったのでしょう、運動が主原因だとのご意見に変わりました。一流でもないのに「お? アスリートの仲間入り?」と、ちょっと嬉しさを感じた僕はバカなのでしょうか。

Photo by 510

手術前日から点滴開始。両腕ともに血管が浮き上がらず、やり直した注射の跡がたくさん。もちろん証拠写真はありますが、ここでは出しません。

入院が決まったものの、折りしもコロナ感染防止の最中で、家族の面会自体も不可能とのこと。海外出張かと思うほどたくさんの着替えや洗面用具はもちろん、仕事ができるようにパソコン、iPad、テザリング用品なども準備し、妙にテンションをあげて入院に臨みました。しかし手術の前日、MRI画像などを見ながらの症状説明、全身麻酔での手術のやり方など詳しい話を聞き、承諾書などにサインなどするうちに全身から力が抜け、言葉が少なく、体温さえ低くなっていくような自分を感じました。その明らかな証拠が手術準備のための左腕へ点滴と、右腕から採血の際です。過去に何度も経験した献血や採血のとき、ちょっと力を入れればすぐに血管が膨らんであっという間に済んでしまう簡単なカラダだったのですが、一方で注射針が刺さるところも見ていられないほど、この手に関して結構弱気ではありました。入院直前に上がりきった気合が、説明を聞いて今度は急降下、全身の活気が低くなっていたのでしょう、一向に血管が浮き上がりません。ベテランの看護師が乗り出し、多分理想個所ではない横っちょへの3針目でようやく成功した訳です。でも手術の時以外、写真だけはきちんと撮り続けましたよ、フォトヨドバシに載せるかも知れないと思って。MRI画像もCD-Rで頂いてありますし、三か所づつの注射の跡も、装具に囲まれた左膝も、意外に小さな手術の傷口も・・・でもここには載せないことにします。

さて、生涯初めての入院は10泊11日。一昨年退社してからの朝9時過ぎに起床し、夜は12時にようやく就寝する怠惰で気楽な生活が一変し、3時間づつの前倒しと、超定期時間の食事となりました。思い出せば、学生時代の数年間の春夏冬に経験した合宿以来、48年ぶりの超早寝超早起きです。でも合宿の時同様すぐに慣れ、完全に慣れ切った頃に予定通りに退院できました。不思議ですが退院後ずいぶん経つのに、今でも20時過ぎると生あくびが出始めて居眠りを始めてしまいます。一方で遅起きの方にはすぐに戻ってしまって、結局現在の睡眠時間はほぼ10時間なんです。体調が狂ってしまったのか、寝る子は育つ、なのか。

Photo by 510

昔から機内食で必ず記録する「ごちそうさま!」写真。510には映(バ)えて見える「完食」の証拠。もちろん「いただきます!」も撮ってあるけれど、あまり面白くないので省略。そっちの方が映えて見える? そうですか。

手術当日を除外して合計27回の食事は、話に聞いた通りの薄味でしたが、すべておいしく頂き、魚の皮とミカンの皮しか残さない模範患者でした。思い出してみれば(思い出すことが多いです)、子供のころから給食は残さなかったな。今では悪名高い脱脂粉乳だって、問題なく美味しく飲み干した良い子でした。さらに入院で特に運動をしなくても、酒や甘いものを完全に絶った規則正しい生活を送れば、2kgは体重が減るものだと分かりました。しかし退院後の、我が家での濃い味付け、香辛料の多い食事、手を伸ばせばそこにある甘~いおやつはとてもオイチイですね。酒の美味さなんて筆舌に尽くしがたく、「飲み過ぎ!」と叱られながらも入院時の摂生の成果を少しづつ取り戻しています。

Photo by 510

パジャマを着て気楽なリモート会議・・・ではなく、手術翌日からフロア内をウオーキング開始。退屈せずに歩けたのは自分の意志ではなく、音楽のおかげ。リモート会議用のヘッドホンを持って行ったのも大正解。ところでパジャマやタオル類は毎日自分で洗濯しました。何しろ暇でしたから。