PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

さてフォトヨドバシの記事ですからもちろん「写真」を忘れてはなりませんが、今回はまったく510らしくない「音楽」をメインテーマに取り上げました。ここからが本論です。

手術翌日から院内で歩行練習を始めた(させられた)ものの、初回はまったく気分が乗りませんでした。ふと思いついてVenturesをネットからダウンロードし、聴きながら歩いてみたら、これがイイ。とぼとぼ歩いても苦にならないし、時間も忘れるのです。これまでの僕の人生は音曲にほぼ無関係、ウオークマンには無縁、イヤホンはモノラルのラジオを聞く程度でしたから、両耳で聴きながら歩くなんて初めて。おおステレオじゃないか、と改めての感動なのです。しかもVenturesはとにかく調子が良く、今日に至るリハビリウオーキングのお供に絶好であることが分かりました。

思い出してみれば(ここでも)、初めて聞いたVenturesは、なぜか中学校の廊下で鳴り響いて衝撃を受けた、大変物騒な曲名の「Slaughter on 10th Avenue」。しかし同じ曲を60年後のリハビリ中に聴くとは実に情けないことです。傷む膝をなだめながら「なにくそ、負けるもんか!」と歩いたら、5,000歩を超えてしまい、調子に乗るなと看護師さんに叱られました。ただ同じVenturesの演奏でも、スローなバラード調の「アラモ」などは緩すぎてイケませんね。しかも冬の灰色の空の下で聴くと、つい自分の身の上、来し方行く末を考えてしまって何だか寂しくなってしまうのです。やはり単純で乱暴な初期のグリッサンド(例のテケテケ・・・のこと)がベストでしょう。

あれこれ思い出そうとネットで調べてみましたら、Venturesの結成は何と1959年ではないですか。そう、それは我がNikon F発売の年、ここにも僕の会社人生との接点があったのです。VenturesもNikon Fも、当初のメンバーの多くは既に故人とは言え、残した作品や意義はいずれも立派、しかも現役であるのは大したもんです。ま、一部の好事家の間だけ、ですけどね。

Photo by 510

大人になってようやく買えたLPのVentures。最初期のメンバー名は今でもそらで言えます。今回のチャンスにゲットしたのはこれも含めてたくさんの曲。レコードにまつわる昔話はあとで。

思い起こせば(また)Venturesにのめり込み始めたのは東京五輪の頃。大ブームに乗ろうと、おそらく多くの人がやったように、ちょうど買ってくれたテレコ(日立ベルソーナジュニア)のマイクをテレビの前に置いて録音しましたっけ。今のように録音専用端子などない機械ですので、大切な録音中に「哲ちゃ~ん、ご飯よ~」、「シーッ、うるさい!」なんて余計な雑音が入ったものです。同時期にはやり始めたBeatlesにも興味を持ち、(多分)エドサリバンショーなどのテレビ番組にも喰い付きました。しかし、真っ先に気に入った「I want to hold your hand」がなぜ「アイウオナホ~リョ~ハ~」なのかさっぱり判らず、誰も教えてはくれず、誰にも聞かず、真剣に聞き比べて「僕はVenturesで行こう」と片方だけ選んだのです。どうして両方とも選ばなかったのか理由はすっかり忘却の彼方ですが、多分中二病(正確には中三)特有のプライドや屁理屈でもあったのでしょうね。その後の人気を見れば、両方と確保しておけば良かったのにと思っても、もう遅い・・・。今回のリハビリの機会に名誉挽回(?)と一念発起し、そのBeatlesもダウンロードして聞き歩きしてみたのです。まあ何とたくさんある・・・しかしほとんどが知らない曲であるうえに、わずかに知っている曲は、やはりその歌詞が気になって気になって喰い付きが悪いことが分かり、再び「僕はVenturesで行こう」と思い直したのでありました。

Venturesを選んだその頃、聞くだけでなくエレキギターも欲しかった。しかし当時は不良の遊びだと言う風潮があって買ってくれる筈もなく、黙って買うにもお年玉が足りず、楽器店に行っては弦を触ってみるだけでした。ソリッドギターではなくアコースティックギターだとアンプが無くても音が響くことが分かり、それだけでも楽しめました。当時は練習するグループがあちこちにいて、シャッターを下ろしたお店や倉庫から漏れてくる爆音を、耳を澄ませて聞いていたり、週に二回はあったテレビ番組のコピーバンドに聞き入ったりする生活でした。

そんな程度でしか楽しめない時、なんと親友がエレキギターとアンプ一式を買ったのです。早速出かけて触らせてもらいました、あら~ツルツルでピカピカ、思ったより重く、とても嬉しかったですね。そこで僕は「シビれた」のです。いや、エレキギターに魅せられたという意味ではなく、ビリビリと感電したのです。彼の家は多少音量を上げても近所迷惑にならないお屋敷で、季節は梅雨、折りしもしとしと降っている、広い濡れ縁でイジらせてもらった時に。当時この手の機械の絶縁は、規則もさることながら、作りもいい加減だったのでしょうね、エレキギターに身も心もシビれたのです。しかし小学校の時からラジオ(トランジスターではなく真空管式)類をイジるのが好きで、コードを抜き忘れたまま中に手を突っ込んで頻繁に感電を経験していましたから、慣れた身には多少ビリビリしてびっくりしただけ。その後一応電気を専攻し、それを仕事にしてつくづく考えるのは、日本は100Vでよかったと言う実感です。

さて次にその親友とは、有楽町の今は無き日劇まで、スエーデンのエレキバンドSpotnicksのステージを観に行きました。もちろん僕らの本命は最高位のVenturesでしたが、高いチケットが買えませんでしたので二番手で我慢。1957年、子供ながらに胸をワクワクさせた世界初のソ連製人工衛星は「Спутник」(スプートニク、英名Sputnik)、Vol.4のウラジオストック編でシベリア鉄道の駅Спутникがロシア語で「衛星」を意味することを書きましたが、このSpotnicksはそれから来たバンド名のようです。ところで世界に先駆けて接種が始まっている、ロシア製の新型コロナウイルス用ワクチンSputnik-Ⅴも、人工衛星同様に世界をびっくりさせようと命名したらしいですね。話は戻ってその日劇、緞帳が上がると、ピュンピュン聞こえるあのスペースチックな曲とともに、銀色の衣装とヘルメットを身に着けたメンバーが天井から降りて来たではないですか。いま見ると何とも子供だましの出で立ちなのですが、ガガーリン時代の宇宙少年ソラン(510のこと)には、ヒット曲「霧のカレリア」と一緒に大感激のステージでした。さてこの「ピュンピュン」音、ある時会社にあった半導体類をこっそり持ち帰り、自宅で作って実現できました。今ではシンセサイザーなどで誰でも簡単にアレンジできるのでしょうが、ディスクリート部品で実現できたのは偉いと思いませんか? 別に? はい。

その後エレキギターを手にする機会がないまま、数年が過ぎて日々卓球に明け暮れていた時、当時流行したフォークギターに興味が移りました。時々宴会で弾いていたのですが、CやAmなどのコードを乱暴に引くだけの腕前、さらに歌は上手くもなく、大声でただガナるだけ、今思い出しても顔が赤くなります。

Photo by 510

さるクリスマスイベントで親友が見事に歌った「走れコータロー」の伴奏姿。ひとり悦に入っている恥ずかしい姿。もう一度、腕前は聞かないで下さい。

この頃、昔好きだったVenturesをふと思い出し、お茶の水の楽器店に勇んでスコアを買いに行きました。しかし、単純で弾きやすいと思った「Diamond Head」、最初の2小節がやっとこさでした。そもそも音符は読めないし、6本もある弦のあちこちを押さえるべき指は、さっぱり願うとおりには動いてくれず…そこで僕は音曲の才能にようやく見切りを付けた訳です。この時のギター? 当然、まだ屋根裏の隅にありますけど、未練がましい?いやいやもっと未練がましいのは未だありますから、次のページを読んで下さい。