PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

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キノウ・・・エンエキ・・・

聞いたことがない言葉でした。「万事休す」という文字が頭に浮かびました(この言葉は知ってました)。頭の中が真っ白になって、しどろもどろに何かを言った記憶はありますが、内容はまったく覚えていません。質問の意味が分かっていないのですから、完全に的外れな返答だったはずです。面接会場を出る時には、この会社も早々にあきらめていました。「帰納法と演繹法も知らない学生が来たよ」と、社内で笑いの種にされているところを想像しました。

それでも選考を通過できたのは、おそらくこういう理由です。大きなテーブルの向こうにいるそのお偉いさんに何かの用紙を渡すのに、無理やり手を伸ばすのではなく、テーブルをぐるりと回って、すぐ近くに直立してうやうやしく差し出したのです。それが良かったに違いありません・・・それ以外に良かったことなんて一つも無いんですから。先のホットスポットと同じく、そのことがあって遅まきながら「帰納法と演繹法」について勉強しましたが、その後現在に至るまで、それが役に立ったことなんてただの一度もありません。世界はなんと役に立たない知識で溢れ返っていることか。そんなこんなでそのカメラメーカーに入社することになりました。それが日本光学工業、つまり後のニコンだったのです。僕が繋がれた瞬間です。

さて、無事に会社に入れば試験ともオサラバできるかというと、そういうわけには行きません。そう、昇格試験です。これによって役職と、それに見合った報酬が与えられます。これでも執行役員まで務めましたので、さぞかしたくさんの昇格試験を受けてきたとお思いになるでしょう。もちろんです。そして、すべてクリアしてきました。ただし、これにはちょっと補足説明が必要です。いわゆる「昇格制度」が僕らの年代にまだ追いついていなかったのです。どういうことかと言うと、かつてすべての昇格は、日頃から観察している上長がつける成績書(のようなもの)と、せいぜい論文(のようなもの)で決められていました。今どきの、きちんとした人事システムの中での昇格試験とはだいぶ様相が違っていたのです。もう時効ですから書いてしまいますが、自分を心配して気遣ってくれた上長は、そっと前年の「S評価」の論文を見せてくれたりして、まだまだ人間味の残る、ユルい昇格のやり方でした。もちろん今はそうは行きません。極めてシビア、かつ客観的です。もし今の昇格制度の中にいたら、どうだったでしょうね? 僕はラッキーだった、という以外の言い方が見つかりません。

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ところで、もう一社のカメラメーカーへのアクションはどうしたんだっけ?これが何も覚えていないのです。試験は受けたのかな? それすら思い出せない。

もしかしたら、あの電機メーカーに受かっていたかもしれない。もしかしたら、二社めのカメラメーカーで働くことになったかもしれない。幸福度というのは何かとの比較ではなく、自分の中の絶対的なものだと思います。だからニコンで働いた46年間を振り返って「あー面白かった」と言えればそれ以上望むことは何もないのですが、どんな違う人生が待っていただろうなあ、と考えることはあります。まぁ、起こらなかったことを言ってもしょうがありませんね。ただ一つ言えるのは、ニコンに勤めていなかったら、フォトヨドバシでこのような文章を書く機会もなかっただろうということ。これは自分にとって幸福なことです。

・・・という締めなら実に美しかったと思うのですが、その結論はまだ早いのです。冒頭の担当者の「これから考えます(ニヤリ)」が残っています。

不安です。