PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

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僕の46年間にわたるカメラメーカー生活のきっかけとなったのは、ある試験に落ちたことでした。試験に落ちる・・・できれば経験したくない出来事の一つですし、時にはそこで一つの夢が終わってしまうことだってあります(この場合はそうでした)。それがこんなに素晴らしい日々の幕開けでもあったわけですから、人生というのは不思議なものです。いや、不思議というか、何とかなるんですね、人生って。

試験にまつわる思い出はみなさんにもおありでしょう。僕が思い出すのはやはり学生時代。ある問題がどうしても解けず、試験後、用意してあったカンニングペーパーを捨てようとしてふと見たら、なんとそこに答えが書いてあるではないですか! 普通はカンニングペーパーを作る時点でおおかた頭に入ってしまうそうですが、内容はおろか書いたことすら覚えてなかった・・・問題が解けなかったことよりも、そっちの方がショックでした。それは半導体における「ホットスポット」にまつわる問題でしたが、おのれの不甲斐なさにそれを何度も読み返し、なぜか試験が終わってから完全マスター。残念なことに、社会に出てそれが役に立ったことは一度もありませんでしたが、たぶん今でも答えられると思います。

というように大学では電気を専攻していたので、就職先の志望は電機メーカー。中でもどうしても行きたい、あこがれとも言える電機メーカーがあって、そこで働くことしか考えていませんでした。そこで志望届を提出して入社試験を受けたわけです。まず最初は一次選考の筆記試験。ところがその途中でもう、ああ、こりゃダメだって。難しいのは覚悟していましたが、ここまでとは。どう転んでも受かりっこないのは自分でも分かりました。準備不足です。人生を決めるかもしれない試験で大失敗。ふだんノーテンキな自分でも、さすがにこの時は目の前が真っ暗。がっくりと肩を落としてトボトボ歩いた、駅までの帰り道の光景は今でも忘れません。

結果は言わずもがな。予想通りとは言え意気消沈して、うなだれつつ大学の学生課に行ってみると、カメラメーカーの募集が二社、並んで掲示されていました。ん?ちょっと待てよ。考えてみれば、子供の頃からカメラやピストルのような機械が大好きで、祖父からプレゼントされたフジペットで本格的に写真を撮り始め、中学時代は写真部に所属し、卒業アルバムのスナップの多くは僕の作品だったことを思い出しました。おお、これだこれだ!と、そこにひとすじの光が差すのがはっきり見えました。ここはノーテンキの面目躍如。

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写真部に所属していた中学生の頃。写真部の暗室にて。

さっそく二社とも申し込んで、そのうちの一社からまずお呼びがかかりました。筆記試験が出来たかどうかは記憶にありませんが、嬉しいことに一次選考を通過。次は本社に呼ばれ、巨大なテーブルの向こうにいるゴツい顔をした偉い人との技術面接。一般技術に関する質疑応答のあと、自分の卒論の説明をしたのですが、その時にこう訊かれたんです。「この結果を導き出したのは帰納法ですか? 演繹法ですか?」



・・・は?