PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

SORI - 新宿光學總合研究所

  • 本稿は、写真用レンズについてより深い理解が得られるよう、その原理や構造を出来る限り易しい言葉で解説することを目的としています。
  • 本稿の内容は、株式会社ニコン、および株式会社ニコンイメージングジャパンによる取材協力・監修のもと、すべてフォトヨドバシ編集部が考案したフィクションです。実在の人物が実名で登場しますが、ここでの言動は創作であり、実際の本人と酷似する点があったとしても、偶然の一致に過ぎません。
  • 「新宿光学綜合研究所」は、実在しない架空の団体です。

3群1枚目  設計者の描く理想とは
レンズ設計ことはじめ

1号

ゴール地点がひとつではない、というのは?

ニコンの性能評価はめちゃくちゃ厳しいんですけど、その基準を超えた地点なら一応ゴールになるわけです。だから、山の頂上がゴールというより、8合目より上ならゴール、みたいな感じ。

原田
4号

なるほど。とすると逆に「本当にここをゴールとしていいのか?」という葛藤が自分の中に生まれますよね。

そうそうそう、そこなんですよ。8合目までは到達できたけどそれより上に行けない。じゃあどうしようか。その繰り返し。

原田
1号

で、そんな時はどうするんですか?

少し引き返して別のルートを登ってみるんです。レンズを一枚変えれば、その後の光の流れは全部変わりますから。

原田
2号

ひゃあ大変。

でもねえ、結局これをどれだけ面倒臭がらずにやれるかだと思うんです。最後の最後まであらゆるルートを検討してみる。何だったら、ほかのレンズタイプを探してみる。

原田
4号

レンズタイプから変えるとなったら当然・・・

登山口から、いや、家の玄関を出るところからやり直しですよ。

原田
馬橋所長

原田さんの周りでよく悲鳴があがるのは、そういうわけね。(実話)

レンズ設計の過程って、最初から最後まできちんと見通せているかというとそんなことなくて、登山口から5合目ぐらいまでは見えている気がするけど、その先は雲がかかっていてどこまで高い山なのかは分からない。それなら事前に山の高さをきちんと把握して、登山ルートを決めてから始めろよ、と思うかもしれませんが、レンズ設計はどこまで行っても自然の摂理が相手。新しい仕様を新しい設計で切り拓いていくには、「見えないけど、まずは登ってみる」ことが必要なんだと思います。

原田

新宿光学総合研究所

私は設計の終盤にさしかかっても最初に立ち返って別のルートを探すことをよくやります。だって、設計終盤が一番ノウハウがたまっているんですから! ルートを変えてもっと高いところまで登る絶好のチャンスでもあるんですよね。

原田
1号

でも結局そういうことなんですよね。やり直しを厭わずにアタックするから、辿り着ける場所がある。もうこのぐらいでいいよね、俺たち頑張ったよね、なんてちょっとでも思ったら、それ以上の製品には絶対にならない。

4号

だからこそ最初に戻って、レンズタイプ選びが大事になるわけだ。過去のレンズにどういう構成のものがあり、それはどんな性能だったのか、長所は? 短所は? そういう知見をどれだけ持っているかが設計者の地力の差になってくる・・・

原田さんなんかはそれこそもう、古いレンズを片っ端から蒐集して性能をチェックしたりしてますからね。

町田

うん、同じレンズを何本も買って違いを調べたりとかね。で、結局何も違わなかったり。でも違わないことが確かめられたんだから、それでいいんです。

原田
3号

やはり普段の鍛錬を欠かさぬのでござるな。将棋で言えば「棋譜並べ」でござるかな。

新宿光学総合研究所

棋譜とは対局の記録のこと。これらを将棋盤の上で一手ずつ並べて再現することで、一局の流れや手筋を学ぶことができる。昭和のお父さんの休日の楽しみでもあった。

褒められているのかよくわかりませんが・・・まあ私みたいなのは極端としても、今の時代高度なソフトを使って検討する方法はいくらでもあります。だけどいったん高いところまで登ったのにあえて下って他のルートを登り直すなんて、心理的に面倒臭いのは今も昔も変わりません。だからやるかやらないか、違いはそれだけなんです。そのあたりは技術力どうこうよりも、性格的なものが大きく影響している気がするなあ。だって、新しいルートを取って、その先に本当に高い山があるかどうかは自分の知見を信じて登るしかないんです、幻の山を。まぁ、ひとことで言えば「諦めが悪い」んですね。

原田
1号

いや、よくわかりました。製品になっているレンズは、どれもこうしたプロセスの果てに生まれたものなんですよね。我々もしっかり堪能しなければ。

馬橋所長

そういうことです。NIKKOR Zレンズをよろしくお願いしますね。

2号

あれ、所長ってそういう立場でしたっけ?

馬橋所長

あ、所長を忘れてニコンの広報に一瞬戻っちゃった。

ちなみに冒頭の「レンズを1枚足す派」についてなんですけど、レンズ枚数が増えると、いろいろな検討が面倒臭くなるわけですよ、正直な話。これは小説に例えるとページ数を増やすことと似ていて、ページ数が増えれば情報量は増えるけど、闇雲に増やすと却って面白くなくなる。それを支えるのは構成力。その意味で私は長編小説のほうが好きなんですよ、レンズも読書も。

原田
3号

おお、まさに「レンズとは物語である」という、初回のアレでござるな

構成がしっかりしていない状態で枚数を増やすと、却って性能が落ちる→それを補うためにさらに増やす、という悪循環に陥りがち。でもその構成の合理性を突き詰めた上でなら、追加する「たった1枚」が、全体の性能を飛躍的にアップさせる「神の一手」になることがある。実は感覚だけで設計しているわけではないんですよ、私も(笑)

原田

かみ‐の‐いって 【神の一手】

囲碁や将棋、チェスなどのいわゆるアブストラクトゲームにおいては、たった一手によって形勢が逆転する場面がしばしばあるが、その中でも極めて意外性に富んだ手を、「普通は考えつかない、人智を超越している」の意からこう称することがある。将棋の記憶に新しいところでは2021年3月23日の第34期竜王戦、第2組準決勝。対局の終盤、59分間におよぶ長考の末に藤井聡太王位・棋聖(当時)が指した「▲4一銀」が、「将棋史に残る絶妙手」として将棋ファンのみならず、テレビの情報番組でも取り上げられるほどの騒ぎになった。対局の模様はライブ中継されていたが、解説者ですらその一手の意味をすぐには理解できず、解説に苦慮したという逸話がある。

確かに、レンズ枚数を増やしていくと検討パターンが増えて、大変になっていきます。私が「レンズを1枚抜く派」なのは、レンズ枚数が多い状態から設計をスタートして、不必要そうなレンズを抜いていくという流れをとることが多いからです。多くの情報から取捨選択して、シンプルにまとめていくというやり方は、俳句を詠むのと似ているかもしれません。

町田
2号

町田さん、俳句のご趣味があるんですか?

いや、ないですけどね(笑)。あと、「全体的には無理していないけれど、効き所だけ少し無理している」レンズ断面図が、私はきれいだなと感じます。多少の無理をしないと大きく、重たくなってしまうことが多いので。レンズを抜いてみたりしながら、その効き所を探っています。

町田
4号

ところで町田さん、原田さん。たまには何の制約もなく設計したくなりませんか? 大きくなってもいいとか重くなってもいいとか、お金いくら使ってもいいとか。

ん〜、そうですねぇ・・・それは思ったことがないかも。

町田
4号

へえ。それはまたどうして?

制約というのはクリアすべき課題なわけです。これがあるからこそ、頭をひねるんですよね。さあ解いてみろとパズルを渡されるようなもので。

町田
1号

そうか。制約なしのレンズ設計じゃあ、パズルにならない。

そうです。パズルだったら難しいほど面白くなりますよね。

町田

実際、難しい課題の時ほど進歩が生まれたりね。解き方がわからない問題に対してあれこれ創意工夫して、なんとか突破口を探すからでしょうね。

原田
4号

「ちょうどいいハードルが進歩を促す」というのは、真理だなあ。

さらにさっきも言ったように、レンズ設計のお題に対して、私たち技術者が逆提案することもあります。技術的なチャレンジを入れて、これまで存在しなかったものを生み出したい。そうでなければ研究者をやってる意味がないですから。

原田

そういう意味では、技術目線での企画が通る会社ですね。ニコンは。

町田
4号

で、原田さんは? 制約がなかったらどんなレンズを作りたいですか?

やっぱり技術の限界みたいなのをやりたいなあ。人類最高性能みたいな(笑)。そういうレンズで描写の味との両立を考えてみたい。いやそういう自主研究は特許ネタとして日々やってたりするのですが(笑)。そんなふうに制約なしで限界に挑戦して、それで初めて見えてくる世界もきっとありますからね。

原田
馬橋所長

あら、意外とちゃんとしたことを考えてるのね。普段の原田さんからはまったく想像ができないけど。

え、そうですか?いつもちゃんとしてますよ。ところでそういう所長はどんなレンズを作りたいですか?

原田
馬橋所長

私はねー、そうねー、かわいいレンズがいいわ。持っているだけで気持がハッピーになるようなやつを作りたい。

所長、「かわいい」というのは、「かわいいレンズ構成」と「かわいい収差」、どちらのことですか?

原田
馬橋所長

「かわいい」の対象がなんでその二択なのよ。