PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

SORI - 新宿光學總合研究所

  • 本稿は、写真用レンズについてより深い理解が得られるよう、その原理や構造を出来る限り易しい言葉で解説することを目的としています。
  • 本稿の内容は、株式会社ニコン、および株式会社ニコンイメージングジャパンによる取材協力・監修のもと、すべてフォトヨドバシ編集部が考案したフィクションです。実在の人物が実名で登場しますが、ここでの言動は創作であり、実際の本人と酷似する点があったとしても、偶然の一致に過ぎません。
  • 「新宿光学綜合研究所」は、実在しない架空の団体です。

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From: Hiroki Harada
To: Subscribers
Subject: レンズタイプの件
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新宿光学綜合研究所の原田壮基です。
いつもお世話になっております。

例のレンズタイプの件です。
私の興味と情熱の赴くままにがーっと書き上げたので、多少の偏りはあるかもしれませんが、レンズタイプの発展を俯瞰すると、概ねこのようになると思います。お時間がある時にご一読いただければ幸いです(すみません、長いです)。

収差については今回、簡単に説明しましたが、レンズタイプの発展とはすなわち、収差との戦いの歴史であります。難しいことも書いてありますが、ここでは「へぇ」と読み飛ばしていただければ幸いです。

では、よろしくお願いいたします。

そうそう、研究所の近くにいい店を見つけました。
来週あたりどうですか?
新宿、研究し甲斐がありそうです。

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はい、ではここからが本題です。

「レンズタイプの発展について」

どのようなレンズタイプでも、ある日突然ポン!と出来るわけではないので、ここに挙げたものの源流や過渡期となるタイプがすべて存在します。しかしそれらを入れてしまうとキリがないので、ここでは製品として有名になったものだけを取り上げることにします。

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写真レンズのスタート
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[断面図1] ランドスケープ
最初のカメラ(ダゲレオタイプ)に用いられたランドスケープレンズ(設計:シュバリエ/1839年)

接合レンズ(複数枚のレンズを貼り合わせた構造のレンズ)で、明るさはF17程度。当時は感光材も感度が著しく低かったので、晴天の屋外でも数十分の露光時間を必要としたようです。なんせニエプスが撮った世界初の写真って感材が「アスファルト」ですからね。アスファルト。。


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Mehr Licht !(もっと光を!)by ゲーテ
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[断面図2] ペッツバール
画期的に明るい、フォクトレンダー・ペッツバールレンズ(設計:ペッツバール/1840年)

3群4枚でF3.7と当時としては画期的に明るいのは良いのですが、像面湾曲がひどくて周辺が使えず、中望遠相当の画角で用いられました。しかしこのレンズによって、それまで人物撮影は何十分もじっとしてないといけなかったのが数分で済むようになり、写真というものの敷居を下げたことは間違いありません。しかし数分でもじっとしていられませんよ、私は。


[断面図3] ラピッドレクチニア
明るく歪曲収差の少ない、ダルメイヤー・ラピッドレクチニア(1868年)

接合レンズを絞りの前後に対称に配置し、歪曲収差と球面収差を良好に補正してF8を達成したレンズです。ただし、画面周辺の像がいびつに崩れてしまう非点収差などの補正がまだまだだったので、画面全体をシャープに写すためには、やはり絞り込んで撮影する必要がありました。


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もっと広く!
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[断面図4] トリプレット
F4と明るい上に画角も広くできた、たった3枚のクック・トリプレット(設計:デニス・テイラー/1893年)

それ以前は接合を多用することでなんとかやっていたのに(4枚を接合したレンズを2組使った製品まであった!)、それをたった3枚のレンズで、しかもレンズ間隔を大きく取ることで高度な収差補正を実現した大発明レンズ。これはすごいことです。まさに逆転の発想。ちょっと専門的な話になりますが、凸凹凸のレンズを絞り前後に対称に配置することで、レンズの基本収差と呼ばれるザイデルの5収差と2つの色収差を(残存収差量はともかく)それぞれ独立に補正しちゃったのです。今に続くレンズの始祖といっても過言ではないレンズです。


[断面図5] テッサー
主に画面周辺性能を改善した、カールツアイス・テッサー(設計:パウル・ルドルフ/1902年)

上に挙げたトリプレットの最終レンズを接合にして3群4枚とし、球面収差ではトリプレットよりも不利であるものの、像面湾曲、非点収差を改善して画面周辺性能が大幅にアップ! 画角、明るさ、画質のバランスが良い超優秀レンズです。シンプルかつ高性能なことからのちに世界中で模倣されまくり、エルマー、スコパー、エクター、クセナー・・・他にもまだまだありますが、これらもテッサータイプと呼べます。当初はF6.3と暗いレンズでしたが、最終的にF2.8まで進化したのはご存じの通りです。


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もっと明るく高性能に!
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[断面図6] ガウス
現代に繋がる大口径標準レンズの原型、カールツアイス・プラナー(設計:パウル・ルドルフ/1896年)

基本構成は凸凹凸のトリプレットですが、凹レンズを絞りの前後に分け、さらに接合化することで球面収差、軸上色収差をより高度に補正したレンズです。いわゆるガウスタイプですね。発表当初はいまひとつの性能でパッとしなかったのですが、1950年代にガラス素材と光学設計を見直し、さらにコーティングの実用化などがあって見事に生まれ変わった結果、その名を不動のものにしました。2000年前後まで大口径標準レンズの基本形とされていたんですよ。

さて、ここまで取り上げた凸凹凸対称型は「まあまあ明るい」「まあまあ広い」「まあまあきれい」という「まあまあ君」タイプ。要するに「平均点は高いけど、ずば抜けたところはない」んですね。で、そこを何とかしようと、世界中の光学設計者がこのタイプの改良に、ここからさらに30年間ぐらい取り組むことになるわけです。


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もっともっと明るく!
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感光材の感度も飛躍的に上がっていきましたが、それでも今の基準で言えばISO 10~20程度。屋外ならまだしも、室内撮影ではフラッシュや三脚が必須でした。そのため依然として露光時間を短くできる大口径レンズが望まれていたのですが、そういうレンズは球面収差、コマ収差の補正が課題でした。

[断面図7] エルノスター
せいぜいF2.8程度の時代に数倍明るく高性能、カールツアイス・エルノスター(設計:ルードヴィッヒ・ベルテレ、A.クルークハルト/1923年)

当時の水準より明るいF2を達成し、球面収差補正にすぐれたレンズタイプです。このレンズを採用したカメラがかの有名なエルマノックスで、発売時のキャッチコピーは「あなたに見えるものは何でも写せます」でした。これにはF2やF1.8のエルノスターが装着されており、それまでは考えられなかった「室内でもフラッシュ無し」の撮影が可能になりました。このカメラを使った室内の隠し撮りで、庶民には窺い知れない外交界、政財界のゴシップを暴露したザロモン博士は有名ですね。

エルノスターは1925年には世界で最も明るいF1.0にまで発展し、その後30年以上にわたって世界一の明るさを誇りました。エルノスターの基本構成はトリプレットに凸レンズを1枚追加した凸凸凹凸なのですが、前側の各レンズが球面収差、コマ収差を小さくできる形状(アプラナチックレンズと呼ばれます)になっていることが特徴です。単にトリプレットに1枚追加しただけではない、合理的な設計なのです。このレンズの発表時、ベルテレ若干23歳。この構成は、全体で見ると前側に凸の屈折力が集中した構成となっており、前述のトリプレットやガウスタイプに比べると、歪曲収差や像面湾曲などは良好ではありません。その意味では、エルノスターはトリプレットやガウスタイプの特性のうち、画角の広さには「いったん目をつぶって」、その代わりに劇的な明るさを獲得したレンズタイプです。その発想は、後世から見れば「あーなるほど」と納得できますが、当時の状況でその選択をしたことは驚愕に値します。そしてそのようなエルノスターの改良もまた、ベルテレによってなされたのであります。

・・・すいません。わたくし、ベルテレ博士が大好きなもので、キーボードを叩く手が止まりません。


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もっともっと明るく!もっと広く!
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[断面図8] ゾナー50/1.5  [断面図8] ゾナー50/2
驚異的に明るく高性能な標準レンズ、カールツアイス・ゾナー50/1.5(左)、および50/2 (設計:ルードヴィッヒ・ベルテレ/1930年代前半)

これもベルテレです。
息継ぎを適宜入れながらお読みください。

1920年代以降、ロールフィルムや35mm判フィルムを使う小型カメラが発展し(それまでは乾板でした)、写真も軽快な、いわゆるスナップ撮影が流行り始めました。しかしフィルム感度は今よりはるかに低く、依然として明るく高性能なレンズが無ければスナップ撮影は困難でした。その点、明るさで世界を驚かせたエルノスターではありますが、惜しむらくは画角の狭さ。そこでエルノスターの絞り後ろにテッサー的な接合レンズを配置して像面湾曲などを補正、絞り前側にも3枚接合を使うことで球面収差、コマ収差を高度に補正して出来上がったのがゾナー50/2です。ゾナーは高性能とコンパクトさを両立したレンズとして世界を驚かせました。ちなみにゾナーとは太陽(ゾンネ)に由来するそうです。エルネマンの星(エルノスター)からツアイスの太陽(ゾナー)へ。

ゾナーの絞り前側の3枚接合について、「反射面低減のため」という解説がしばしばされますが、これが後年ガウスタイプの性能を飛躍的に向上させた、空気レンズ的な作用になっていることも忘れてはなりません。それだけでも驚きですが、さらにゾナー50/2の絞り後ろの接合レンズにもう1枚接合し、そこで球面収差を高度に「出し引き」してゾナー50/1.5を発明してしまう発想に至っては、もう凡人の私には到底理解不能。同じレンズ設計者なのに辛いったらありません。その後、ゾナータイプは中望遠の領域においても85/2、135/4(テレゾナー)、1936年には180/2.8という驚異的に明るい望遠レンズに発展していきます。またゾナーをさらに広角化したような構成で、1936年、当時としては驚異的に明るく高性能なビオゴン35/2.8(後述するビオゴン21/4.5とは全く別の屈折力配置)も作られました。

このビオゴン35/2.8、屈折力配置的には望遠タイプで、光学系自体の全長は短い。この「望遠タイプの広角レンズ」という発想は、1970年代からのコンパクトカメラにおいて再び脚光を浴びることになります。また、1950年代に日本でF1.1〜F1.2といった超大口径レンズ競争が各社で繰り広げられますが、その際に多く用いられたレンズタイプは、ゾナー50/1.5の後ろに凸レンズを追加したものでした。

エルノスターも、ゾナーも、最終レンズから焦点面までの間隔が短いため、のちに一眼レフの時代になってからは「標準レンズとしては」もはや使われることは無く、主役の座をガウスタイプに譲ることになりました。しかしこのエルノスターやゾナータイプは、明るい中望遠レンズの基本形として、またズームレンズの部分群として、現代にも生きています! 優れたレンズタイプは時代を超えるのです!

ちょっと興奮してしまいました。


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もっともっと広く!
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明るさについてはかなり進歩したものの、建築写真や風景写真、さらには戦争で飛行機からの偵察に写真が使われるようになると、より高性能な広角レンズが求められるようになりました。超広角レンズとしては、絞り前後に凸レンズ成分を配置したヒペルゴン、トポゴンなどもありましたが、広い画角、明るさ、高い描写性能をすべて満たすには限界がありました。また広角になればなるほど周辺光量が急激に減少する、いわゆる「コサイン4乗則」の原理により、周辺が暗く落ちてしまうのも大きな課題でした。


[断面図9] ビオゴン21/4.5
凹凸凹の屈折力配置で別次元の高性能広角、ビオゴン21/4.5(設計:ルードヴィッヒ・ベルテレ/1953年)

1946年、ルシノフがそれまで標準域で用いられてきた凸凹凸とは逆の構成の凹凸凹によって、広角にもかかわらず歪曲収差、像面湾曲を高度に補正し、さらに前側に凹レンズを配置することで画面周辺へ入ってくる光束の太さを画面中心より太くすることに成功しました。これをさらに発展させ、F値を明るくして高性能化したビオゴンを発明したのは、やはりベルテレでした。このレンズタイプは画角を広くできますが、明るくすることには向いておらず、このビオゴンもF4.5と決して明るくはありませんが、コマ収差などは良好に補正され、それまでの広角レンズより広い画角にもかかわらず、絞り開放から良好な画質を実現しました。

6x6判のとあるカメラでは、1950年代から2000年代に至るまで、同じビオゴンタイプのレンズを採用し続けました。この事実からも、ビオゴンの性能の高さが窺い知れるというものです。話は逸れますが、私もそのカメラを実際に使ってみて、開放からの素晴らしいシャープネスと歪みの少ない画質に驚かされたものです。なおこのビオゴンもゾナーと同じ理由で、一眼レフでは使えないレンズタイプでしたが、ミラーレスの時代になり、いま再びその凹凸凹の屈折力配置が復活しつつあります。ベルテレは、何かに目をつぶっても他にずば抜けたものを作る設計者、という印象があります。例えばエルノスターでは、画角を犠牲にして圧倒的な明るさを獲得しましたし、ビオゴンでは、明るさと全長に少し目をつぶれば、ここまで高性能な超広角レンズが出来ることを証明しました。

このように光学設計の発展を仔細に観察すると、設計者の単純な設計能力以外にも、その設計者の信条や個性が強烈に感じられて興味深いです。加えて、新しいレンズが生まれて世の中に受け入れられる背景には、光学設計者の技術的な力量だけでなく、その時代や社会の状況、言い換えれば「市場の要請」にどれだけ応えられているか? が大きく関わってきます。レンズに限ったことではありませんが、設計者には「世の中の潮流」を読む目も必要なのです。その意味では、ここで取り上げた以外のレンズにも(数えきれないほどあります!)、決して語られることのない、それぞれのヒューマン・ストーリーが存在します。そのひとつひとつの積み重ねの上に、さらなる発展を積み上げていく地道な作業が、この200年間続けられてきました。手元にあるどんなレンズも、その歴史の結晶なのです。まったく、いとおしいじゃありませんか!

古いレンズを評価する際には、「その時代には何が求められていたのか?」という視点が無いと理解できないことが多々あります。しかしその一方で、「それらを今使ってみてどうなのか?」という評価もまた重要です。それは、レンズというものが工業製品としては異例に寿命が長いからです。だからこそ、どんな時代のレンズを見ても面白いし、設計者は目先の評価に囚われることなく、20年後、30年後、いや100年後のユーザーの顔を想像しながら設計することが大事だと思うのです。時計師ブレゲが、時計作りの歴史を200年早めたと言われます。私見ではありますが、ベルテレもまた、写真レンズの歴史を数十年早めたと思います。すご過ぎます。私ももっと頑張ります!


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一眼レフでももっと広く!
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[断面図10] ニッコール28mm F/3.5
飛躍的に高性能なレトロフォーカスタイプの原型、日本光学・NIKKOR 28/3.5(設計:脇本善司/1960年)

1950年代から、カメラの主流は一眼レフへと移っていきました。一眼レフはレンズの後ろにミラーが動くスペースが必要になる構造上、これまでのビオゴンタイプなどを使った広角レンズは使用できませんでした。そこで考えられたのが「レトロフォーカス」と呼ばれる、絞りより前側に強い凹の屈折力、絞りより後ろに強い凸の屈折力を配置することで、最終レンズから焦点面までの距離を、焦点距離よりも長くする工夫です。簡単に言えば望遠レンズを逆から覗いた形です(それが「レトロフォーカス」の語源です)。当初は光学性能的にいまひとつでしたが、レンズ後群に凸凹凸凸の並びを採用したこのレンズが、一眼レフ時代の広角レンズ設計を大きく飛躍させることになりました。

マクロレンズ、ズームレンズ、ミラーレンズなど、まだまだ多くのレンズタイプが存在しますが、今回はいったんここまでとします。

わたし自身は書く気満々なんですが、読む方が・・・(笑)

ではまた!


参考文献

  • 光学機器大全(吉田正太郎 著 誠文堂新光社)
  • カメラマンのための写真レンズの科学(吉田正太郎 著 地人書館)
  • レンズ設計のすべて(辻定彦 著 電波新聞社)
  • 写真レンズの基礎と発展(小倉敏布 著 朝日ソノラマ)
  • ニッコール千夜一夜物語(佐藤治夫・大下孝一 共著 朝日ソノラマ)