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vol.21 パキスタンへの旅 - カラーシャの谷編

Text & Photo by 中西 敏貴

© TOSHIKI NAKANISHI

パキスタンへの旅を始めた頃、アフガニスタンとの国境地帯にカラーシャ族という人々が暮らす谷があることを知りました。イスラム教でもヒンドゥー教でもない独自の宗教を持ち、奥深い谷で自分たちの文化を守り続けている人々がいる。SNSで世界中のことが瞬時にわかる時代に、まだ知らない世界があるのだということに驚き、彼らはこの情報社会の中でどう生きているのかを知ってみたくなりました。普段から、情報では得られない風景を求めて山を歩き続け、ネットでは知り得ない光景を自分の目で確かめてきたので、この谷にもやはり一度行ってみないことには。かくして、アフガニスタン国境まで数キロという村へと旅に出ることにしました。今回は、その旅の模様をお届けします。

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カラーシャ族が暮らす谷は、パキスタンの北西部、アフガニスタンとの国境近くに存在します。このエリアはかつて、異教徒の地という意味の「カフィリスタン」と呼ばれていました。国境というラインによって分けられたのち、アフガニスタン側にいた人々はイスラム教に改宗し、パキスタン側に残った人々は従来からの宗教を維持したといいます。まずは、北部パキスタンの玄関となるイスラマバードから、谷の入り口となるアユンという街へ車を走らせます。

© TOSHIKI NAKANISHI

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私たち海外のツーリストにはセキュリティ帯同必須の場所があり、途中警察の車が先導してくれることもあります。パキスタンの旅ではすっかり慣れましたが、日本国内でこうした事はほぼ経験できないので、この土地が国境に近いということを改めて実感する時です。随分と車は走り続け、いったいどれくらいの距離を走ったのかわからなくなった頃、やっとアユンの街へと到着しました。ここが、カラーシャの住む谷の入口です。余談ですが、アユンの先にあるチトラルという街は、ヒンドゥクシュ山脈最高峰のティリチミール登山のベースとなる場所で、登山の世界では名の知れたところです。

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アユンの宿から見えた山並み。とてもかっこいい山なのでガイドに名前を聞いてみたところ「No Nameです」と言います。カラコルムやヒンドゥクシュでは、相当な高さでないと名前すらないというのは、ガイドの言い分ですが果たして本当なのかは不明です。

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アユンからは小さな4WDに乗り換え(現地ではJEEPと呼ばれているTOYOTA車)、崖沿いの道をゆっくりと進みます。時間にして2時間ほどでしょうか。この道の先、細い谷を抜けたところに彼らの村があります。かつては車も通れなかったとのことで、いかに奥地に潜むように暮らしていたのかがわかります。異教徒と呼ばれ、世間から距離を保っていたからこそ、今も変わらぬ姿を残しているのかもしれません。

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ついにカラーシャ族の住む村のひとつ、バラングル村に到着。カラーシャの谷にいくつかある村の一つで、僕たちはここにあるゲストハウスに数日滞在することに。それにしても、映画のセットかと思うような素敵なロケーション。屋根の上では民族衣装を着た女性が編み物をしており、カラフルな洗濯物が干されています。道では子供たちが走り回り、とても賑やかな村という印象でした。ここから数日間、カラーシャの春祭りを追いながら撮影を続けます。

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バラングル村に到着した日の夜、子供たちの踊りで祭りの前夜祭のようなものがはじまりました。夜中には、神殿の飾り付けを行う「プシ・べヘック」という儀式が執り行われるらしく、その飾り付けに使うビシャという名の花を摘みに行ってきたとのこと。子供たちは、大人の踊りに先駆けてこうして踊るのだそうです。

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夜中の2時半。子供たちによる神殿飾り付けの儀式「プシ・べヘック」が始まりました。彼らは前日から花を摘み、同じ空間で過ごし、夜明けの前に神殿へと向かいます。神殿にはいくつかの種族の祭壇があり、それらを新しい花で飾るのが子供たちの役割なのだそうです。この谷の子供たちにとっては一大行事なのでしょう。彼らの興奮している姿を見ていると、小さい頃、町の盆踊りで興奮して眠れなかったことを思い出しました。

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翌日に始まったのは、新生児や女性を浄める儀式。神殿の中で男性がくるみのパンを焼き、生まれたばかりの子供や他の町から帰ってきた女性をお浄めして、祭りの当日を迎えるといいます。

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くるみのパンと火によって浄められた女性たちは、これで祭りへと参加できるように。ずっと昔から続いてきた伝統的な儀式ですが、一般に公開されているものではありません。僕たちは現地ガイドに同行してもらったことでこの荘厳なシーンに出会うことができました。

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いよいよ祭りの始まり。小ジョシと言われる踊りからスタートです。着飾った女性たちが、男性の叩く太鼓の音に合わせて踊り続けます。今回の旅では、滞在していたバラングル村以外にも、他の谷にあるアニッシュ村などでもジョシの踊りを見ることができました。3つほどの谷に分かれて暮らしているカラーシャ族ですが、それぞれ緩やかに交流はあるようで、儀式の流れもどこか似ていました。

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これはミルクの儀式「チリクピピ」。聖なるミルクを持った男性が、女性に向けてそのミルクを撒き散らしています。我先にと男性に近づいていく女性たちの姿が印象的でした。

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現地で僕たちをサポートしてくれたガイドの男性。村でゲストハウスを営みながら、伝統を守る活動をしているとのこと。外の世界からやってきた旅人と、ローカルの人々を繋いでくれるこうしたガイドの存在は、見知らぬ地を旅するためにはとても必要なことです。カラーシャの春祭りは毎年同じ日程で開催されているとのことで、次の春にもう一度帰ってくると彼に約束をして、谷の滞在を終えました。

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カラーシャの谷の旅を終えた僕たちは、アユンの街から一路南下し、アフガニスタン国境に近いペシャワールへ。ここまで来ると、よりイスラム圏の印象が強くなります。夜の街で祈っている人、モスクの中で祈っている人など、カラーシャの村とは全く異なる雰囲気に。同じ国でこれほどまでに文化が違うというのも、パキスタンという国がいかに多様かを物語っています。

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混沌のバザールから見上げたモスク。街の至る所から見えるその姿は、ムスリムの象徴のような存在なのでしょう。

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カラーシャの谷で多く見かけた女性の姿を、ペシャワールではほとんど見かけませんでした。通りを歩いているのはほとんどが男性。谷ではむしろ女性の方が多い印象でしたから、これは宗教的な理由が大きいのでしょう。どちらが正しいということではなく、同じ国内で宗教的、文化的な違いがあることにとても興味が湧きました。日本で暮らしている中で、知識として理解している常識と、世界の常識は実は全く異なるということ。そして、先進国が推進する意識とも異なる価値観があるということ。それらを知ることができるだけでも、パキスタンを旅する意味があるように感じています。

( 2024.10.03 )

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