PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

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これを見た時のワタクシの衝撃をご想像ください。ひとことで言えば、

「信じられないほどの、異様な自然さ」

ふつう、曲がりなりにもレコードを世に出すのであれば、ジャケットに使う写真にはじゅうぶん気を遣うでしょう。しかしこれときたら・・・。 まず目につくのは、黒々とした被写体の影。照明の光が被写体に対して水平に、かつ僅かに左から発射されています。そしてバウンスやディフューズといった基本的な技術を駆使した形跡はまったく見られません。つまり使われたカメラはフラッシュ内蔵のコンパクトカメラで、撮ったのは写真撮影にはまったく詳しくない人だということが分かります。そして場所。ここは一体どこでしょう? 被写体の方の自室? いずれにせよジャケット写真を撮影するのであれば、もうちょっと片付けた方が良いと思われます。まったく余計なお世話ですけどね。あと、背景となっている壁にカメラが正対していないため、画面の上下で水平が出ていないのも、これが「カメラマン」と呼ばれる人の仕事ではない証拠。

そして、なんと言っても被写体ご本人、カンノ・トオルさんの佇まいです。ポマードで撫でつけたオールバック。いわゆる大橋巨泉モデルのメガネ。その奥にある小さな瞳にイマイチ生気が感じられないのは、カンノさんがカメラのレンズを見ていないからでしょう。もう少し下、撮影者の胸元のあたりを、しかしピントを合わせずにぼんやり眺めている。真っ白なワイシャツに地味なネクタイ。ラペルが跳ね上がったライトグレーのシングルブレザーに黒いスラックス。「昭和のバンドマンの一丁上がり!」的ないでたちです。

膝の上のギターは匠の名品として名高い「中出阪蔵」作のもの(サウンドホールに見えるラベルの感じからして間違いないと思います)。押さえているコードは3弦開放の代わりに高いGを足したA7、あるいはEm6。

しかしこの写真をじっと眺めていると、さっきまで軽快に動いていたカンノさんが今は止まってしまって、頭頂部に挿した2本のケーブルでただいま急速充電中。やがて起動音とともにぎこちなく動き出す・・・みたいな想像をしてしまいます。しまいませんか? しまいますよね。

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この「カンノ・トオル」さんについて調べてみたのですが、検索してもこの方に関する情報はまったくと言っていいほど、出てきません。しかし、検索結果はズラリと並びます。どういうことかというと、ご自身のクレジット(名義)による録音が非常に多く、今なおCDで流通しているものがたくさんあるんですね。

改めてこのレコードの裏ジャケットを見てみます。そこにはご本人による自己紹介と曲の解説があるのですが、かいつまむと・・・

  • カンノ・トオルさんは、ギタリストである
  • 普通の会社員をしながら、並行して演奏活動をおこなっている
  • 人前で演奏することが苦手で、コンサートは殆どやらない
  • その代わりに、映画の主題歌やジャズのスタンダードなど、いわゆる名曲をギター用にアレンジした録音を数多く残している
  • とてもよく売れたレコードがいくつかある
  • このレコードは自身の還暦を記念して作ったもので市販はせず、頒布のみ
  • 1922年(大正11年)生まれ ※このレコードがリリースされた1982年から逆算

なるほど! これは還暦を記念して作った、売らずに配るためのレコードなんですね。であれば、自主制作→少量プレス→「ジャケ写はこんなもんでいいか」という気安さ・・・というロジックは成り立つようにも思えます。

ところがこのレコード、作ったのは「テイチクレコード」です。1931年に「帝国蓄音機商会」として大阪で創業。外国資本が入っていない純国産の老舗レコード会社として、今ではキングレコードと並ぶ両雄です。つまり一流レーベルですよ。そのテイチクが作ったということであれば、プレスの枚数も100枚や200枚なんてことはないでしょう。少なくとも1,000枚単位だったはず。頒布盤とは言え、レコード番号、製造者表記、JISマーク、プロデューサー/レコーディングエンジニアのクレジット表記、賃貸業に使用することを禁じる注意書きなど、すべて普通に流通するレコードのフォーマットに則っています。

カンノ・トオルさんは一介の会社員であると同時に、テイチクレコード所属のアーチストでもあったわけですが(確認できる仕事はすべてテイチクでのもの)、そのお仕事の内容はスタジオミュージシャンに近いものだったことが、裏ジャケットのご自身の解説で分かりました。要するに、アイドルや演歌歌手のように熱狂的なファンがいて、ワーキャー言われるような感じではなかったんですね。そういう人が還暦を迎えたというだけで、果たしてレコード会社がそれを記念するレコードを作るものでしょうか。販促品としての位置付けはもちろんあるでしょう。もしかしたらカンノさんご自身の「持ち出し」も多少はあったかもしれません。でも、それ自体は1円にもならないレコードを60歳の誕生日を記念して作るのが「当時はよくあること」だったとは、ちょっと思えない。逆を言えば、それをテイチクに作らせてしまうだけの実力というか、貢献があったということです。これまでの感謝と、これからの期待が同時にあるからこそ、経費をかけてでもそれを作ったわけで、カンノさんはテイチクにとってとても重要なアーチストだったんじゃないかなあと思います。

と、そこまで考えたところで話は振り出しに戻るのですが、そのテイチクが、よくこのジャケットでOK出したなあと(笑)