PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

PHOTO YODOBASHI

かつてPYに、「メシ撮り道場」というコーナーがありました。毎回、異なるメシをお題にして、それをスマホのカメラで撮るというものでしたが、みなさん覚えておられますでしょうか。あのコーナーが人気を博していたとか、復活を望む声が多いとか、そんな事実はまったく無いのですが、激動の2020年が終わろうとしている今、唐突に道場シリーズ・第二弾を始めます。題して「五糎(5センチ)道場」。その名の通り、50mmレンズで撮ることを追求する道場です。被写体縛りナシ。機材縛りもナシ。なんならフィルムだってOK。唯一の縛りは「50mmのレンズで撮る」ということ。

コトの発端は、最近おこなったレンズ開発者へのインタビュー。その中である開発者の方が「光学設計者にとって、50mmというのは特別なレンズ。とても難しい」と仰られていたのですが、そこでふと思ったのです。

「そういえば50mmって、使う側からしても実は難しいレンズだよなあ」

「寄れば望遠、引けば広角」とか、釣りの名言をもじって「50mmに始まり、50mmに終わる」などと表現されるレンズですが、それってつまり、使いこなしがめちゃめちゃ難しいことの裏返しでもあります。その反面、標準レンズと呼ばれ、かつてはボディを買うと必ずついてきた50mmレンズ。カメラが今よりずっと高級品だった時代には、どこの家のお父さんも、家族のスナップ、風景写真、旅行の記録、とにかくすべての写真を50mmレンズ一本で撮っていたのです。

そんなわけで、ここらで今いちど50mmに立ち返ってみようという試みです。それを道場という鍛練の場で行う理由は、まさにこの焦点距離が持つ難しさ、奥深さにあります。望遠や広角は、撮り方にセオリーがあります。そう言い切ってしまうと語弊があるかもしれませんが、広角は広角らしく、望遠は望遠らしく撮るのがセオリー。広角を使って望遠のように撮るなんて努力、普通はしません。ところが50mmにはセオリーがありません。「で、お前はこれをどう撮るんだい?」と常に試されるのが50mmです。要するにその時々によって、この焦点距離に対する向き合い方や間合いの取り方は違うということ。調子がいい時もあれば、悪い時もあるでしょう。でも少しずつ分かっていく。だんだん強くなっていく。それが鍛練。そうそう、その意味ではもう一つ縛りがありました。それは「ごく最近撮ったもの」であること。まぁ毎日の体重を測るようなもんです。

とにかく、50mmレンズで撮りたいように撮ってみる。他人の評価などお構いなしに撮ってみる。まずはそこからです。


第一回お稽古

講評:五糎流師範・油壺徳太郎

PHOTO YODOBASHI

LEICA ELMAR M 50mm F2.8
LEICA M10
Photo by Naz

いい感じに力の抜けたスナップ。と思いきや、よく観察すると画面の隅々まで注意が行き届いた、完璧な構図であることが分かる。瞬発力が求められる街中のスナップで、被写体にきっちり正対し、ここまで水平とセンターを出すのは広角ほどではないにせよ簡単ではない。ファインダーを覗きながらあれこれやっているのではもう遅い。「おっ」と思った瞬間に、頭の中では完成図がすでに出来上がっていて、それを撮るためには自分はどこに立ってカメラを構えればいいのか、瞬時のうちに計算しているに違いない。そしてこれは確信に近い想像だけど、一度のシャッターで確実に仕留めている筈。要するに50mmをかなり使い慣れているとお見受けした。それにしても、横浜の中華街も長いことご無沙汰。まぁ行ったところで萬珍楼なんて高級店には縁がないのでござるが。

PHOTO YODOBASHI

ZEISS JENA SONNAR 5cm F1.5
SONY α7C
Photo by NB

悪くはない。が、別に良くもない。窓の外に茂る雑草の生命力を表現したいなら、もっとウワッ!と蔓延っているところを撮るべきだし(今気づいたんですが「はびこる」って、まさに「つるがのびる」と書くんですね)、光の強さも中途半端。そして何より画面下の意味不明の物体。リアリティと言えばそれまでだけど、画面に入れるなら役割を与える。役割がないなら切る。50mmの画角ではそういう整理整頓が必要。これのせいで、視線をどこに泳がせればいいのか分からなくなっているでござる。

PHOTO YODOBASHI

ZEISS PLANAR 50mm F2
LEICA M Monochrom
Photo by A. Inden

日の丸構図をまるでタブーのように言う人がいるけれど、私はそうは思わない。大事なもの、感動したものを視界の真ん中に捉えるのはまったく当たり前のこと。敢えてのモノクロ(というかモノクロしか撮れないボディなので)とレンズの性格を最大限に活かして、ふわっと美しく、まるでポートレートのよう。でもちょっと待った、相手はキャベツだよね? キャベツらしさ、つまり瑞々しい感じとか、美味しそうとか、そういうのはどこへ行った? これじゃまるでキャベツの遺影だ。いいキャベツだったよね。惜しいキャベツを亡くしました。「キャベツらしさ」を敢えて排除したのであれば、残ったものは何なのか。 アーティスティックな感じを狙い過ぎているのがちょっと鼻につくでござる。

PHOTO YODOBASHI

ZEISS Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA
SONY α7C
Photo by TAK

これは面白い。画面を切り詰めて全体を青白いトーンで統一。そこまでは誰でもやるだろうけど、ギリギリ右上のメッセージが入っているのは偶然ではない筈。被写体を右に寄せ、空いた左側のスペースに看板(?)の映り込みを入れたことで画面の重心バランスが釣り合い、安定感を生んでいる。そして真冬のディスプレイに半袖のお兄さん。しかもTシャツが真っ黒ときている。さらにこのポーズは安産祈願? いろんな要素が散りばめられているが、それらが渾然一体となって煩い感じはしない。むしろシンプルに見える。視線の移動に躓きがない。50mmの画角を(55mmだけど)活かした構図。お見事でござる。

PHOTO YODOBASHI

ZEISS C Sonnar T* 1.5/50 ZM
LEICA SL
Photo by TA

これに女の子が一人で戻ってくる写真が加わったら、ちょっとしたホラーだ。でも、そんなふうに「その瞬間」の前後を想像させるのが写真の面白さ。ロケーション、天候、時間帯、被写体、構図、タイミング、撮影技術、一つ一つはすべて完璧。特に、あたかも広角で撮ったような写し方は50mmレンズの可能性を生かし切っている。が、完成形の写真としては、いささかステレオタイプで面白みに欠ける。まぁ、こうしか撮りようがないとも言えるでござるが。

PHOTO YODOBASHI

ZEISS PLANAR 50mm F2
LEICA M Monochrom
Photo by Serow

「どう撮るか」以前に「何を撮るか」、つまり被写体さがしの段階で、写真はもうほぼほぼ決まってしまうことを思い知らされる。仮に、ここに写っているのがイケメンの外国人だったらどうだろう? これっぽっちも面白くない写真だったに違いない。それがこの男性であることで、この写真が俄然、生きてくる。写真が語り始める。想像力を掻き立てられる。画面の左上から右下に向かって対角線を引いてみると、まるで別世界のよう。でも実際には同じ世界の風景。アンマッチの面白さを感じると同時に、ちょっと身につまされたりもする。いくつもの感情が時間差でじわじわ来るでござる。

PHOTO YODOBASHI

Canon EF 50mm F1.2
Canon EOS 3(フィルム)
Photo by Rica

不思議な写真だ。これはいったい何をしているところだろうか? どうやら、筒状のネックウォーマーを外そうと苦戦しているところらしい。なぜ苦戦しているのか? 片手にソフトクリームを持っているからだ。ソフトクリームは持ったら最後、「ちょっと置いておく」ことができない。その向かいにいる人は、「わたしが持っていようか?」と救いの手を差し伸べることもなく、平然とカメラを構えている。フィルムの淡い色調と粗い粒子が、不思議さをさらに引き立てる。後ろの鏡、背もたれと同化している服の色、すべてが「不思議な写真」の完成に一役担っている。不思議を通り越して、怖い感じすらする。ここに写っているものに計算ずくは一つもない筈だが、発している情報量は多い。撮るべき瞬間を撮った写真でござる。

PHOTO YODOBASHI

YONGNUO AF 50mm F1.8
NIKON Z7
Photo by KIMURAX

写真が眠い。手前を歩く二人をシルエットにしたいがゆえの露出決定だと思うが、本来であれば写真のアクセントになった筈の右奥の木立は中途半端に塗りつぶされ、アスファルトの照り返しは力を失って、まるでサングラスをかけたままトンネルに入ったようなヌケの悪さ。ピントは先を歩く女性に合わせているが、残念ながら埋もれてしまっている。もっと光量があった方が良かった。それでアスファルトの照り返しが白飛びしたってぜんぜん構わないし(だってアスファルトの照り返しってそういうもんでしょ)、画面の1/3を占めるトンネルの内壁も露わになって画面内に変化がついたと思う。あるいは、手前の二人を入れなければこの露出のままでも成立したかもしれないでござる(手前の二人を手で隠してみればわかる)。

PHOTO YODOBASHI

ZEISS C Sonnar T* 1.5/50 ZM
LEICA SL
Photo by K

砂浜に描かれたアンパンマン。それ以外に写っているのは夕陽にきらめく海。それだけ。「それだけ」と敢えて言ったのにはちゃんと理由がある。つまり想像の余地の話。このアンパンマンは誰が描いたのか。子供か。親子か。もしかしたら50歳ぐらいのオッサンが毎日描いているのかもしれない。もし、この写真と、これを小さな子供がお母さんと一緒に描いている写真と二つあったら、どちらを選ぶか。私なら前者だ。後者はもう想像させてくれない。この写真なら、描かれたところから波に洗われて消えるところまで、ぜんぶ想像していい。想像とはつまり、他人が撮った写真の最後の1ピースを自分で嵌めて完成させる行為。説明する。想像させる。どちらも写真の大事な役割だけど、説明の写真なら新聞のページを繰ればいくらでも載っているでござる。

PHOTO YODOBASHI

LEICA SUMMARIT 50mm F2.5
LEICA ME
Photo by Z II

クリスマスに飾るリース。季節感溢れる題材ではある。ぱっと見はきれいだが、どうもしっくり来ない理由は、主役が分からないから。真ん中の一つなのか。その両脇も含めた三つなのか。いずれにせよ主役が主役たる理由は何なのか。どこを見て欲しいのか。その手掛かりがどこにも見出せないので、見た瞬間に視線が戸惑う。あるいはもっと引いてこのリースの集合体を画面いっぱいに見せ、敢えて主役を作らないという手もある。ただし中途半端な数だったらそれも奏功しないが。望遠は凝視。ゆえに主役は自ずと作られる。広角は俯瞰。主役がいなくても成立させやすい。50mmの難しさの一つは、この「主役作りをどうするか」かもしれないでござる。


( 2020.12.25 )

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片手にアイスクリームを持っていても楽に外せる、普通の巻きマフラー。

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手に取れない写真のキャベツではなく、こちらは実際に手に取って口いっぱいに頬張れるキャベツ。懐かしの味です。

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「アンパンマン」と入れて検索すると、それこそいくらでも出てくるわけですが、選んだのは「やっぱりあるんだ?笑」的なコレ。

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この記事の公開がクリスマス当日とは実にタイミングが悪いですが、これで来年に備えるというのはどうですか。

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