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Behind the scene of GAPPURI ZEISS

The behind story of "HISTORY OF ZEISS"

「ツァイスの歴史について書いてください」

という非常にシンプルなオーダーをいただいたわけですが、その時はこの仕事が大変なのか、楽チンなのか、それすらよく分かりませんでした。「ツァイスの歴史」って「日本の歴史」って言うのと同じ響きを感じます。話が大き過ぎて全体像が掴めない。輪郭が見えない。でも、だからこそ、書こうと思えばなんとなく書けちゃうような気もする。だから「はあ」としか答えられない。そんな感じでした。

記事の建て付けを考えるにあたって、ポイントとなる「できごと」をいくつか取り上げ、そこを掘り下げるというイメージは最初からありました。っていうか、そうしかやりようがないし。じゃあ、そのポイントはいったい何なのか。まず思いついたのは、本の中では第二章として書いた、あの逃避行の話。間違いなく、今のツァイスのターニングポイントとなった一夜。ツァイスの歴史を語る上で、あれを避けては通れない。で、それを中心に置いてみると、その前に創業期の話、後ろにツァイスの東西分裂と再統合の話・・・まぁその三本柱になるよね、というところまではすんなり決まったのですが。

問題はその掘り下げ方。資料はいっぱいあるんですよ。なんてたってツァイスですから。でも、色んな資料を当たってみて改めて分かったことは、どれを見ても同じことしか書いてないってこと。そりゃそうですよね。どの資料も、元になっている記録が同じものなんですから。原典となり得る、ある程度の信憑性をもった記録が、そんなにバリエーション豊かに存在しているとも思えない。なので、とにかく「切り口」を工夫してみようと。で、その切り口に沿った状況証拠を集めて、そこから類推してみる。想像じゃなくて、「状況を考えれば当然こうだった筈だよね」という、文字通りの類推。これを積み重ねれば、「新たな発見!」とか「新解釈!」みたいなことは期待できないにせよ、ちょっと違った角度からツァイスの歴史に光を当てられるかもよ?と、その程度のいい加減な感じで書き始めたものではあります。順に振り返ってみます。

第一章でスポットを当てたかったのは、とにかく「人」。どんな会社も、理念と行動力をもった誰かさんが興したもので、通常それは「創業者」と呼ばれるわけですが、言うなればすべての会社に「人」の物語がある筈なんです。世の中には、創業者が亡くなってもなお、製品にその人の理念が息づいている例がありますよね。例えばホンダの車と本田宗一郎って、今でも密接に語られるじゃないですか。エレクトロニクスの分野だとアップルとジョブズとか。一方、豊田喜一郎と言われてもプリウスやレクサスとは結びつかないし、いくら二股ソケットのエピソードが有名でも、パナソニックの電球を見て松下幸之助に想いを馳せる人は、まぁいないですよね。でも、むしろそれが当たり前なんじゃないかと。歴史が長くなるほど、会社が大きくなるほど、創業者の影は薄くなっていくのでしょう。その意味で、ツァイスも後者だと思うのです。カール・ツァイスさんも、エルンスト・アッベさんも、もちろん有名人。でも、それは歴史の教科書に出てくるのと同じような有名さであって、リアリティは伴ってない。じゃあ生身の、等身大の彼らを文面から立ち上がらせるにはどうしたらいいか?それには読んでくれる人たちが、無意識のうちに自分と重ね合わせられるようにしたらいいんじゃないかなあ、というところから「年齢」という切り口を思いついたのですが、それが功を奏したかどうかは、私には分かりません。

第二章については、やっぱりいろんなこぼれ話がありました。その中から本には入れなかったものをいくつか。

1945年6月18日夜の大移動は、先にも述べた通りいちばん書きたかったこと。だからここは外堀を埋める意味でいろいろ調べました。その一つが、戦争が終わったタイミングで東から西に移った企業が他にもあったのかどうか。つまり、ツァイスの例は特殊だったのか、それともありがちな話だったのかってこと。これがですね、あるんですよ。調べた範囲では、シーメンス(電機メーカー)、アウトウニオン(アウディの前身)、アリアンツ(保険会社)、コメルツ銀行が、1945年から49年にかけて、本社を東側から西側に移しています。もちろん調べたのはごく一部の企業でしかないので、他にもあった筈です。でもこのことを本に入れなかったのは、接収や共産主義化を恐れて、という理由こそツァイスと同じであるものの、どうやら自主的に移ったらしいということ。ツァイスほどドラマチックな話ではないようなので、触れませんでした。

まだあります。イエナを脱出して向かった先がハイデンハイムだった理由について、あくまでも可能性の一つとして「そこに米軍の司令部があったから」と本の中では書きましたが、それは他にもいくつかの説が存在するためです。そのうちの一つを、そのまま引用してみます。

この大輸送部隊は、もともとミュンヒエン近郊のローデンシュトック社を目指していた。ところが先導するトラックの運転手がザクセンうまれだから道を知らない。そこで迷った結果ヴュルッテンベルク州のオーバーコッヘンという小さな村に辿りついた。ここで全員が下りて、とにかくここに落ち着くことにした。

み、道を間違えたからって。。。これは竹田正一郎さんという方が書かれた「ツァイス・イコン物語 世界最大のカメラ・コンツェルンの軌跡」(光人社・平成21年)という本の中に出てくる一節ですが、「目指していたのはローデンシュトック」「道に迷った挙句、たまたまオーバーコッヘン」という二点に関しては、この本以外では確認できない情報でした。これを書いたのが他の人だったら一笑に付して終わるところですが、竹田正一郎さんといえばツァイス研究家としてつとに有名な方ですし、ご自身による極めて綿密なリサーチの結果をもって物を言う方でしたから、まったく信用できない話ではないように思われるのです。すごく興味深い説ですが、残念がら竹田さんはすでに鬼籍に入られており、お話を伺うことも叶わなかったので、これも触れませんでした。

時間が前後しますがもう一つ。1945年4月13日に米軍がイエナに進駐し、ツァイスの工場にもやってきて初めて調査をしましたが、その時に一番乗りをした若い米兵と当時ツァイスの取締役だったキュペンベンダーのやりとりの記録が残っています。

まず、米兵はキュッペンベンダーの部屋がある9階まで階段を駆け上がっていきます。キュッペンベンダーがわざとエレベーターを(壊れていると偽って)止めさせたからですが、それは「アメリカ兵が息を切らせて階段を上がってくる様子を、上からゆっくり眺めるため」だったとあります。ここからしてすでに可笑しい。

米「(肩で息をしながら)あなたがボスですか?」
キ「そうだ」

すると米兵はポケットからペンと紙片を取り出し、何やら書き込む。

米「私がイエナに最初に入った兵士であることを証明するサインをください」
キ「それはできない」
米「どうしてですか?」
キ「私が知っているのは、君がわがツァイスに入った最初のアメリカ兵であることだけで、イエナに入ったところは見ていない」

米兵は肩をすくめ、文字を訂正する。

米「これでどうですか?」
キ「よかろう(と笑いながらサインをする)」

(アーミン・ヘルマン著・中野不二男訳 新潮社「ツァイス 激動の100年」より抄訳)

このエピソードはとても気に入って、ぜひ紹介したかったのですが、これを入れると話が完全に脇道に逸れて元に戻れなくなってしまうので割愛しました。また別の機会に書けばいいやと。それが本稿だったわけですが。

第三章はツァイスの東西分裂から再統合まで。分裂期については調べれば調べるほど面白い話がいっぱい出てきました。そして調べながら「餃子の王将」と「大阪王将」が常に頭に浮かんでいたことも告白しなければなりません。本では東と西のツァイスだけに絞って書いていますが、当時のカメラ事情を俯瞰してみれば、実はここで兄弟ゲンカをしている場合ではなかったのでした。仲違いをしている東西のツァイスにも共通の敵がいたのです。そう、日本製品です。多少オリジナリティに欠けるところがあっても(とは言え、実際には単なる猿マネではなく、独自の工夫をこらしたものがいくらでもあるんですが)、極めて高性能なカメラが、非常に安い価格で売られていたことは、欧米のすべてのカメラメーカーにとって大きな脅威となっていました。加えて、ツァイス・イコンがコンタックスIIaやIIIa、ライカがM3といった「究極の」レンジファインダーカメラを作ってしまい、これには太刀打ちできないと悟った日本メーカーが、当時まだ普及していなかった一眼レフに生き残りを賭けた結果、皮肉にも世界のカメラ勢力図がどうなったか、今さら説明するまでもないでしょう。一方、再統合については、実はあまり面白い話がありませんでした。現時点で参照できる資料の多くが、再統合前に記されたものだったのも理由の一つ。再統合後に加筆されたものもいくつかありましたが、やはり本で取り上げたくなるようなドラマチックな逸話は見つけられませんでした。「再び一つに」と書くと、そこにいろんな人間ドラマを期待してしまいますが、実際のところは契約書とサインによる、単なるM&Aに過ぎない、ということなのかもしれません。

なんとなく気乗りがしないまま書き始めた記事ではありましたが、いろいろ調べてみるとこれが本当に面白くてですね。文献を漁るのに夢中で、一向に原稿の文字数は増えないという。締め切りが迫る頃には浜松のホテルに3日間缶詰になって(浜松に深い理由はありません。簡単に帰れないところであればどこでも)書き上げた労作です。GAPPURI ZEISS、まだ在庫はあります。価格も勉強させていただきました。まだお手にされていない方は、いますぐご注文を!(NB)

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( 2019.05.10 )

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ツァイスの歴史を知り、その写りを見ると、ツァイスが真摯に最高の光学製品を作り出したいという思いで物作りをしてきたことが感じられると思います。ページを繰りながら、紙版でじっくりと文字を追い、ツァイスレンズの描写をご堪能ください。

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