PHOTO YODOBASHI

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ニッコールレンズエッセイ ニッコール温故知新

第3回
AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR (2015) × Zoom-NIKKOR Auto 43〜86mm F3.5 (1963)

交換レンズの面白さに目覚めると、F2.8通しの標準ズームレンズはまず気になる1本でしょう。ただおいそれと買える金額ではありませんし、普段使いの観点から見れば、F値は暗くなっても、もう少しテレ端が長い方がよかったり。そんなレンズはF2.8通しほどにはサイズも大きくなく、そしてリーズナブル。だからこそ購入に思い切りが必要かもしれませんね。しかし「F2.8という口径でしか撮れない世界がある」なんて書いてあるものを読んだりすると「そ、そうなのか」と思ったり。確かにF値はそれだけで単純に“性能”でしょうから、当たり前のことを書いてあるに過ぎないのですが。ま、なんにせよ、うなされ恋い焦がれる存在ではあります。え? グダグダぬかさず最初からF2.8通し? ‥それは天晴れです。そしてこのスペックでなければならない皆さんも第一選択・必携レンズなのでしょう。

私はどうだったかと申しますと、もちろんグダグダぬかしておりました。高くて手が出ないので、なにか新しい世界を覗き見たいために50mm F1.4あたりのリーズナブルな単焦点レンズのほうへ足を踏み入れたのが運の尽き。標準ズーム焦点域には数限りない単焦点レンズが新旧揃うわけで、もう泥沼も泥沼。余計にF2.8通しの標準ズームなんて手に入れられない有様に。それと単焦点レンズはやはり軽くてコンパクトなため、撮影の身軽さを覚えてしまったという点も大きかったと思います。

さて、本題とまいりましょう。AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VRについては登場時に私がテストを担当しました。その際に感慨深いものがありました。そのあたりについてはページの進行とともに。そして対抗馬はいにしえの“ヨンサンハチロク” Zoom-NIKKOR Auto 43〜86mm F3.5です。Ai AF Zoom Nikkor 35-70mm F2.8D(S)あたりを対抗馬に据える方がよいのかもしれませんが、ヨンサンハチロクは単に私が愛用してきたレンズのためです。2本の標準ズームとともに、人に会い、そして街撮りを行ってみました。

( Photography & Text : K )


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新旧標準ズームを抱えて、まず人を撮ってみようと。それもお付き合いの長い人に会いにいって、何の仕込みもなくいきなり撮る。人を撮る際、圧倒的に単焦点レンズを用いることが多いのですが、ズームレンズを用いる利点は「間合い」に追従させやすいこと。つくづく、画角の制約を受けないというのは素晴らしいことだと感じます。トップバッターにいつもお世話になっている自動車販売店の社長、安達稔さんにまず会いに行きました。いつも本当にいい顔で笑う方だなあと思っていたので「明日モデルになってくださいよ」と電話でお願い。「勘弁してよ〜」と言われつつ、半ば強引に引き受けて貰いました。本当に車がお好きな方で、まさに好きこそ物のなんとやら。車の話が始まるとまあ止まらない。買うならこんな人から買いたい。

AF-S 24-70mm f/2.8E ED VRをマウントして、旧いメルセデスの話をひとしきり。「何処で撮るの〜?」と聞かれるも、仰々しい撮影など考えていないわけで、その場で背景を探します。なんだか面白い光が差している場所へ社長をお連れしましょう。メンテガレージ(笑)こんなところで?汚いじゃんと社長は言うのですが、重整備以外殆ど自前でこなしてしまったり、ともかく売るだけじゃない。本当に“車屋”なんです、ここの会社は。なんとなく伝わりますか? らしいかなあと思って収めたカット。

少しディスタンスがあって暗いとなると、ファインダー上でピントピークを確認するよりもAFに任せきって合焦マークを確認するのが吉。よほど撮られ慣れている人でなければ、世間話などをしながらシャッターを切ることもあって忙しい。表情とフレームだけに集中して、フォーカシングと露出は頼ってしまいます。それにしても、Dfのような高感度特性のよいセンサーが搭載されたカメラに、フィルム時代では考えられないAF測距点の多さと画面のカバー率、レンズの防振システムに超音波モーター駆動のAFと、一昔前に比べれば本当に撮るのが楽になりました。デジタルカメラ時代になってカメラの頻繁で派手なモデルチェンジに目を奪われますが、撮影の道具としてレンズというものも必要不可欠。トータルパッケージで撮影道具としての次元を上げていくとなると、当然交換レンズ群も放っておくわけにはいかず、レンズ自体の高度化もこの10年ほどで一気に進んだ感があります。メーカーの皆さんもさぞかし大変だったことでしょう。フィルム時代とは時の流れ方が全然違いますよね。

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ヨドバシ.comでも珈琲豆を販売している「たまじ珈琲」店主、上野泰弘さん。知り合ったのは一昔前ですが、当時からずっと喫茶店をやりたいと言ってました。珈琲豆の焙煎と販売のみの形態ですが、初志貫徹、天晴れです。ヨドバシ.comでの販売の関係上、焙煎を行っている店舗に撮影に出向く事もあるのですが、なにせ狭い。日本一効率のよい小さな焙煎所を目指したというだけあって、本当に狭い。こんなに撮りづらいお店も珍しい。必然的に握るのはワイド端がより広いAF-S 24-70mm f/2.8E ED VR(笑)しかしよく写るのは当たり前として、それ以上の何かを感じる描写。

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狭さの模様を(笑)珈琲豆を買いにきたお客さんに、珈琲を一杯。淹れる上野さんに、レジに立つ奥様。ちなみになぜ「たまじ珈琲」という屋号かといえば、ゆで卵が大好きでよく会社でも食べていたそうです。いつしか同僚から卵好きのオヤジという意味で「たまじ」と呼ばれるように。ご本人いたく気に入ったようで、それがそのまま屋号に。お店での奥様のニックネームは「たまこ」。とばっちり以外何ものでもありません。ブレンド珈琲豆の銘柄に「たまじブレンド」「たまこブレンド」もラインアップ。珈琲豆も産地や銘柄、豆のコンディション、さらに焙煎具合でありとあらゆる楽しみ方があるように、レンズだってスカッと写る味わいもヨシ、この“ヨンサンハチロク”のように澱が写るかのような味わいもヨシ。まとめて楽しんでなおヨシ。

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焙煎後、異物や品質の落ちる豆が混じっていないか念入りにチェック。凛とした空気感を演出するには最新レンズが相応しい。むしろ被写体から滲むものを想像してしまうような写りです。余談ですが、長らく深煎りの珈琲を愛してきました。しかし上野さんの影響で最近浅煎りもいいなと。最初は薄くてもう少しパンチが欲しいなと思うのですが、ほんのり立ち上がる甘みと酸味の味わいがいい。声高に奨められたことは一度もありませんが「ハマるよ」とは何度か聞かされていました。焙煎士はワインの世界で言うソムリエのように、飲む人が味わったあとに包まれる空気まで見えているのでしょう。

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古くからの痛飲仲間、星和成さん。写真好きでもありますが、カメラの保管場所が電子レンジの中という不思議な人です。彼と飲むと次の日の太陽が西からは昇りやしませんが、とりあえず歪みます。いやあ、ヨンサンハチロクのボケ味が似合う。五臓六腑をアルコールで洗濯してる最中に、するーんと後ろがボケる品の良さはないし、おそらくこんな感じに見えているのでしょう。よく覚えていませんが。

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F5.6まで絞り距離が変わると、背景の雰囲気もご覧のとおり変わったり。これを面倒と思うか、面白いと思うか。それは目的によったり、好みによったり。しかし、いい顔して飲むなあ。


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焦点距離を可変できて、画角の制約から解き放つ。ヨンサンハチロクのように2倍だったズーム倍率も、いつしかワイド側は35mm、28mm、24mmまで拡がり3倍近くの倍率に。挙げ句の果てに防振機構まで搭載され、レンズが肥大化する要素しかないわけです。各収差との闘いとなると思いますが、ニコンに限らず各社のF2.8通し・標準ズームで特に気になるのが歪曲収差。レンズをあっさり大型化できれば何の悩みもないのだろうと思いますが。どのレンズも感心するほどよく写るのですが、正直なところ感嘆の声が漏れるような心を掴んで離さない描写のものにあまり出会ったことがありません。レンズ設計にも余裕を持って望めるようなスペックではないのかもしれませんね。そんな中でAF-S 24-70mm f/2.8E ED VRの描写には、初見で初めて声が漏れました。写り、いろんな意味でのハンドリング、タイトなライン上にまとまり、確実に1つ次元が上がった、そんな印象です。一方でこの写りを実現するとなると、やはりここまで大きくなるかという印象も。手でホールドした際の形状などが実によく作り込まれ、実際にはさほどサイズまたは重量を感じません。ここに至るまで相当な作り込みがなされたと容易に想像できます。

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こちらテレ端まで伸ばした状態の43-86mm。2倍ズームで、直進ズーム。いわばズームレンズで最もプリミティブな構成。縦方向にズーム操作し、画角決定を行った上で、今度は回転させてフォーカシング。いま操作してみると思わずにやにやしてしまいます。鏡銅部分がへたってくると、フォーカシングする度に画角が変わったり。単焦点レンズのようにコンパクトですが、これはクラシックと現代の車の違いに似たようなものです。現代の車はクラシックに比べれば格段に大きくなりました。ありとあらゆる快適装備が搭載され、同じ500kmを走るのも雲泥の差です。一方で、クラシックカーのプリミティブな乗り味を愛し、普段使いするような人もいます。手間暇とお金そして労力がうんざりするほど掛かりますが、それを厭わない愉しさがあるのでしょう。そもそも趣味の世界に効率というのはあまり関係ありませんから。そう考えると、カメラや写真も趣味のものである人が大半なわけで、現代のレンズももう少し違ったアプローチの製品が生まれてもよい気がしますが、難しいですかね。 車の世界でも、ノスタルジーという演出の単なるブランドの回収的な車などは見かけても、本質的な旧い時代と現代の融合という意味では疑問符がつくものばかり(旧時代から生き抜いた一部の生粋は別として)。カメラは日本メーカーが圧倒している数少ないプロダクトであり、そんな意味でも夢を見せて欲しいというか。我々を引っぱっていってくれてワクワクさせてほしい、そんな風に思います。


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さて、少しフィールドに持ち出してみましょう。AF-S 24-70mm f/2.8E ED VRです。日の出を待っていたサーファー達。横一列に並んで待っている光景もよかったのですが、日が昇った瞬間にみんな一斉に波に乗り出すのが面白かった。そのほんの少し前を捕らえたのがこのカット。光というものは人にとって希望なんだなと。表現というものは最も贅沢な趣味の部類だと常々思いますが、写真は「光画」です。なかなかな趣味かもしれないなとよく思います。この季節に海辺で日の出を待つなんて、ファインダーの向こうも涙と鼻水でまともに見てらんない。正確無比・猛烈な速さのAFに助けられ、開放でもまったく文句の付けようのない写り。緻密に描き込まれる写りに膝を打つ。

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根源的性能の次元そのものが上がると、まるで1つ上のフォーマットで撮っているのかと錯覚を起こします。そう、はじめて35mmでなくブローニーフィルムのネガを見たときのように。カメラ&レンズが新たに見せてくれた世界が、違うアプローチの思索という楽しいひとときに誘い込んでくれます。

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柔らかに滲む前ボケ。これは嬉しいな。楽しい。旧いレンズは万能ではないけれど、御する楽しみがある。

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ヨンサンハチロクのようなサイズなら、街撮りも気楽でいい。Df自体がコンパクトな一眼なのでそれも手伝って。もし自分がこの3人の父親なら、こうして見つめているのだろうか。

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街撮りは一期一会。どうしたんだろう、なにかあったのかな(笑)咄嗟にレンズを向けたのでピンは甘いわ、ブレてるわ、なんですが。ああ、特に街撮りではこんな失敗作も量産します。まあよいのです、こんな光景に出会ったという記念みたいなものですから。

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画面から音を消すなら、AF-S 24-70mm f/2.8 E ED VRはうってつけ。

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自由度が低いからこそ、その枠内でなんとかしようと集中できることもあります。なんて、脳内禅問答こそが趣味の醍醐味。

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私にとって標準ズームとは、その名の如く50mm近辺に少しだけフレームの自由度があればそれでよいのです。つまり43〜86mmあたりで十分。そうはいっても、より便利・自由にと、どんな物事も進んで行くものです。ただその与えられた選択の幅が時として足枷になる。追いかけられるものだからと被写体に歩いて近づき、ワイド端側にズームリングを回す。結局機材に振り回され疲れちゃったりして。私がスナップ撮影を行う際にAF-S 24-70mm f/2.8 E ED VRほどのレンズは不要。これはもちろん「自分にとって」の話ですよ。かといって、年中43〜86mmだけで過ごせというのも無理がありますが(笑)

どんなものも完璧な物など存在しないのだから、目的に応じて使い分けるのが一番です。やれなにがどう写るとか、写らないとか。使いやすい、使いづらいとか。誤解を恐れず記すなら究極どうでもよい。日頃テスト記事で「こんなに写る!」なんて書いてるじゃねえか、、ごもっともです。物としての本質的な善し悪しはもちろんあるし、好き嫌いももちろんあります。ただ、それらは別物。物として良いから使う、悪いから使わない、そんなことはありません。そして、ひっくるめて「私」にとっての話。人の数だけの「私」があります。ただ撮るなら自分なりにできる限り知っておきたいとは思います。そのうえで好きな物を使うのです。触れた数だけ、面倒な数だけ、しくじった数だけ、また見えてくる世界があるわけで、それが面白い。

あ、レンズの記事でしたね。すみません。今回新旧標準ズーム2本を同時に撮り歩くなんてことをはじめてやってみましたが、撮りたいもののイメージが頭に満載だったわりに、やはり機材に結構引っぱられるものだなあと妙に感心すると同時に再確認させられました。機材それぞれにできること、できないことがあります。できることに対して自分の中にあるイメージを被せていくわけですが、これって結局機材に引っぱられているわけです。

メーカーがより写り便利にと目指していくことで、撮り手である自分がそのシーンから漏れてしまったりすることもありますが、新たなラインが引かれて、そこに自分のイメージを被せていくなんてことも考えはするわけです。だからこそメーカーにも技術革新に邁進して欲しいと思いますし、我々撮り手としてはいろんな選択肢が生まれて、それで遊ぶ楽しみが生まれると。

新旧レンズ、どちらも掛け値なしに面白いです。レンズ交換ができるカメラ、それで撮る楽しさは、レンズ交換式カメラというシステムが生まれたときから変わらないんだなと。猛烈に当たり前のことを感じました。マウントが不変であり、何でもアダプタ的なカメラ「Df」みたいなボディがあると危うい危うい。今年もガンガン撮って、レンズこねくり回して楽しみましょう! そしてニコンさん、ソソるネタをいつも待っております。よろしくおねがいします!

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( 2018.01.09 )