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ニコン 後藤哲朗氏トークライブ イベントレポート

2019年6月25日を以てニコンを退職された後藤哲朗氏が、6月15日にニコン本社のある品川インターシティの会議室にてトークライブ「ニコンフェロー後藤哲朗『ニコンと私、46年を語る』」を開催しました。これは、1959年に発売となったニコン初のレンズ交換式一眼レフカメラ「ニコンF」が今年で発売60周年を迎えることを記念して行われたもの。PY編集部でも取材を行いましたので、そのイベントの様子をお届けします。

後藤哲朗氏は、1973年に日本光学工業(現:ニコン)へ入社し、電気回路設計担当からニコンフェローにいたるまで様々なポジションを歴任されてきました。カメラやレンズの開発では、主にF3の電気回路設計に従事、「ニコンF4」では電気系のリーダー、「ニコンF5」ではプロダクトリーダーを担当され、「ニコンD3」シリーズまでの多くのデジタルカメラや交換レンズの開発にも携われてきました。また近年では「後藤研究室」の室長として「ニコンDf」を企画・開発したことも記憶に新しいです。

今回のトークライブでは、46年に及ぶ後藤氏のニコンでの活動についてご自身が語るという貴重な場。抽選で選ばれた100名のファンとメディアが集まり、大雨の中での開催にも関わらず、笑いの絶えない、たいへん賑やかで楽しいトークライブとなりました。参加者は男性が大多数、年齢層は…やはり後藤氏が開発してきたカメラを現役で使ってきた世代の方が多いようです。

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簡単な挨拶とともに始まりました。まずは後藤氏自ら会場のお客さんを撮影するところから始まりました。もちろんカメラは「Df」。これまでは上司への報告用としての撮影でしたが、今回からは自分の記録用として撮影するとのことでした。

「全編、身の上話」と宣言して始まったトークライブ。スクリーンに映し出された資料はすべて後藤氏自らが作成されたようです。


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幼少から学生時代、そして日本光学工業入社

後藤氏は1950年名古屋市熱田区で生まれ、1961年に東京都中野区へ転居。同氏が初めて手にしたカメラ「フジペット」(1957年に発売された6×6判の入門機)により、写真と関わる人生が始まったとのこと。小学校高学年〜中学生時代にはカメラのカタログ集めに精を出し、車のカタログ集めも始めました(詳しいエピソードは「ニコン100周年記念 PY特別インタビュー 後藤フェローにいろいろ聞きました。 Vol.2」をご覧ください)。その中学生時代には写真部に入部。学生時代の卓球から社会人になってスカッシュと車が趣味として加わり、その間も写真は欠かさず撮り続けていたそうです。

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日本光学工業に入社された1973年、最初は横浜製作所にてサーマルカメラの開発・製造・販売・サービス等を担当し、1975年にカメラ設計部へと異動されます。入社当時の名刺とともに手がけてきた試作品などを紹介してくださいました(1990年代以降のMは課長、GMは部長、HBは本部長、EOは執行役員の略)。1980年代にはレンジファインダーカメラの構想もあったそうです。なお、右下に見えるのは、これまでに後藤氏が交換された名刺をファイリングされたもの。12,000枚に達するとのことです。

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こちらは開発に携わったカメラの数々。上がフィルムカメラで下がデジタルカメラ。

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上の図は1992年からの氏の体重の変化。課長になられて体重が減り、部長になると宴会が増え体重も増えたそう。執行役員になられた時には「ある事件」により体重が減り、「D3」の成功で再び宴会が…(笑)。2017年から始まったニコンファンミーティング(NFM)も土日開催により運動不足と食べ過ぎが重なり体重増。最近は食事と運動をバランスよく採り、一気に体重を落とされたそうです。

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1973〜75年の横浜製作所でのエピソード。製作所内には車好きの方が多かったそうです。右はニコン100年史に掲載された記念写真の数々、黄色い丸で囲まれた写真は後藤氏が提供されたものだそう。

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1975年、カメラ設計部へ異動。マルチカメラの開発(左)や「F2」の改造機の開発に従事(中央)。設計部時代に撮られた写真の数々(右)。

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続いて大井製作所のエピソードが語られます。101号館をはじめとする多くの建物は、現在は全て解体され、新しい建物が建ったところもあれば、更地の箇所もあります。


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思い出深い「ニコンF3」の開発

1977年、「F3」の開発が行われていた頃の状況です。開発そのものは1975年頃には始まっていたそうで、当時の後藤氏はアナログIC(2個)の開発と基板実装を担当されていたとのこと。約2ヶ月間大阪の協力会社に長期出張していたそうです。

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1977年には設計に大きな変更が加えられました。丁度デザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロ氏のデザインが出てきた頃(モックアップ写真)のことだそうで、外から入る光を受けて測光する受光素子の電気回路図と液晶による表示とクォーツによる露出制御について説明いただきました(左)。「F3」で採用されたフレキシブル基板と試作機のボディ(右)。まだこの頃の試作機には製品版と異なる機械式セルフタイマーがついていました。

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「F3」の電気回路設計ではいくつか心残りもあったそうで、フレキシブル基板になっても1本だけ残ってしまったリード線について(左)やチェックしすぎて生まれてしまった配線の間違いを修正したこと(右)など興味深いお話しを伺うことができました。

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なお、「F3」で採用された液晶表示は、当時は時計で採用され始めたばかりの新しいデバイスだったため、高品質な製品を採用しましたが、それでも6〜7年でコントラスト低下による有償交換を想定していたそうです。実際には生産後40年を経過したつい最近までそのような事象はほとんど起こらなかったとのこと(左)。「F3」発売後には初の海外出張でヨーロッパへ修理トレーニングへも行かれたそうです(右)。

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「F3」はアナログ回路であったことから改造が容易で様々なチャレンジをしました。後幕シンクロにはじまり、X接点の高電圧対応、セルフタイマーの作動時間など。大きな改造では植村直己スペシャルや松本清張スペシャル。量産品の「ニコンF3P」(左)では防水対策が施され、バケツに汲んだ水の中で動作させる実演を社内で行い、「ニコンF3H」(右)の最大13コマ/秒の高速撮影ではシャッター系とモーター系の駆動信号をリンクさせず、高い精度のタイミングで合わせたというお話しもありました。

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今は老眼でできなくなったそうですが(笑)、マイコンに0.64mmピッチが16本×4方向で0.3mmの架橋ポリエチレン電線でハンダづけを行うことができたという器用自慢(左)。その後の設計部の風景。右下のカレンダーによれば、年間87日の海外出張をしていたとのこと(中央)。新しいカメラの出荷式はしばしば呼ばれていたが、発売直前は様々なトラブルがありなかなか参加できなかった。参加できたのは「ニコンFM3A」の1回限り。終了式はトラブルもないため、毎回参加できたそうです(右)。


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製品開発以外で印象に残ったもの、そしてトークライブの最後へ

解体前の大井製作所を案内するツアーの開催について(詳しくは、インプレス・デジカメ Watchの『ニコン大井製作所「101号館」の見納めに行ってきた』をご参照ください)。また一緒に、当時珍しいビデオカメラで後藤氏自ら撮影された大井製作所の映像を再生し、詳しくご案内いただきました。

他にも、他社製カメラですが「リコーGR」の5周年記念イベントに呼ばれて参加したこと。ユーザーのコミュニティができていることを羨ましく思っていたそうですが、ニコンも「Df」で同じようにコミュニティができて嬉しいと仰っていました。

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それから、ニコンミュージアムでのトークライブ。2016年、2017年と開催し、今回が3回目とのこと。後藤氏によれば、ニコンを退職された後も、これで縁が切れてしまうというのではなく、ニッコールクラブのイベントへの参加が9月までいくつかあるとのこと(今度からギャラをもらえるそうです!)。

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(どちらも借りた言葉ではあるそうですが)「初心忘るべからず」と社内で常に言っているとのこと。そして「写真忘るべからず」とも。

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盛大な拍手とともに終わりましたトークイベント。今回ご紹介したスクリーン映像やエピソードの他にも、オフレコの興味深いエピソードや様々な人たちが写った写真も一緒にご紹介いただきました。それらは撮影不可となっていましたため、残念ですがここではご紹介できません。

PHOTO YODOBASHI2時間に渡るトークライブで表示されたスライドは60枚を超え、一度も休むことなくユーモアたっぷりにお話しをいただきました。イベント会場では質疑応答の時間を設けていませんでしたが、イベント後にニコンミュージアム内で後藤氏と自由にお話ができるということで、参加者の多くがそのまま移動。またイベント会場を出る際には、後藤氏の名刺と記念品としてニコンミュージアムグッズに加え、直筆のサインが入ったメッセージカードが参加者全員に配られました。


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2019年は「ニコンF」発売から60周年とのことで、ニコンミュージアムでは「ニコンF発売60周年記念展示 - Fヒストリー」の特別展示を行っています。最後にその「Fヒストリー」をバックに記念撮影。

後藤氏よりPY読者のみなさんもメッセージをいただきました。
「今までありがとうございました。これでニコンと終わりというわけではなく、まだ続きがありますので、ぜひどこかでお目に掛かりましょう!」とのことです。

取材協力:株式会社ニコン、株式会社ニコンイメージングジャパン

( 2019.07.16 )