PHOTO YODOBASHI

ライカカメラ社 ピーター・カルベ氏 インタビュー

11月7日、ライカカメラジャパンよりフルサイズミラーレスカメラ「ライカSL2」が発表になりました。それに先立ち、10月下旬にドイツ・ライカカメラ社より光学設計の責任者であるピーター・カルベ氏が来日。今回そのタイミングに合わせて、PY編集部が特別に取材する機会をいただきました。ライカSLシリーズ向けのレンズであるプライムレンズの開発についてお話しを聞き、またライカレンズの開発全般についてインタビューを行いました。

協力:ライカカメラジャパン
通訳:杢中 薫氏(ライカカメラAG)

写真:Z II(PY編集部)
聞き手・構成・文:Naz(PY編集部)

ライカSL・プライムレンズシリーズ

ライカカメラ社のフルサイズミラーレスカメラSLシステムには、16-35mmの広角ズームレンズから、90-280mmの望遠ズームレンズまで幅広い画角をカバーしたレンズが多数ラインナップされています。その中で“F2”の明るさを持つ単焦点レンズ7本をライカでは「プライムレンズ」と呼んでいます。それぞれ「アポ・ズミクロンSL」のレンズ名を持ち、21、24、28、35、50、75、90mmとすべてF2の明るさで統一される予定です。以下は、カルベ氏自ら説明された内容について要約し再構成したものです。なお、21、24、28mmの広角レンズは、SLシステムのレンズロードマップとして2020年までに発売が予定されている製品です。

今回はライカSLマウント向けに約2年前から始まった「プライムレンズ」シリーズについてお話しします。ライカプラムレンズはライカにとって非常に意欲的な製品となり、設計から製造まで新しい方法を採用しています。今回その特長について説明したいと思います。特長は、大きく分けると(1) 正確で高速なオートフォーカス、(2) 優れた光学性能とコンパクトさの両立、(3) 高い信頼性を持っていることの3つがあります。

(1) 正確で高速なオートフォーカス

ミラーレスカメラのライカSLでは、コントラスト検出方式によるAF制御を行っていますが、これはフォーカス用レンズの往復によりピントを追い込んでいくため、フォーカス用レンズに機敏な動きが必要になります。フォーカスレンズの駆動にはステッピングモーターを採用していて、1ステップあたり0.8µmの動作で、640ステップで一回転しレンズを0.5mm移動させるといった精密な制御が可能です。しかしこれを実現するには、フォーカスレンズの重量を20g以下に抑えなくてはならず、ライカでは「デュアルシンクロドライブ」と呼ぶシステムを新たに開発しました。そのシステムでは、フォーカスレンズを2群に分割し、それぞれを独立して動かすことでフォーカスレンズの重量問題を解決させました。この2つのレンズは、ひとつのリニアガイド上で位置を正確に保って動かせるようなシステムになっています。このデュアルシンクロドライブは7本のプライムレンズすべてで採用され、電気設計者が決めたこのシステムに合うよう、光学設計者がレンズの設計を行わなくてはならないという新しいチャレンジがありました。

PHOTO YODOBASHIライカSL用のレンズはAFレンズですので、光学部品の他に基盤やモーターなどが配置され、複雑な構造をしています。写真はレンズに組み込まれた2つのフォーカスレンズを独立して駆動させる「デュアルシンクロドライブ」の機構を説明したもの。

(2) 優れた光学性能とコンパクトさの両立

ライカでは今後もデジタルカメラの高画素化はしばらく進んでいくと考えており、新しく生まれるレンズはその高画素化に対応していく必要があります。ライカでは高画素化に合わせたレンズの解像度について独自の基準を設けています。ここではライカSLの2400万画素のセンサーを基準に説明しますが、24MPでは1ピクセルの大きさは6µm、解像力の上限であるナイキスト周波数は1mmあたり83LP/mmとなります。

これがどういう意味かというと、1ピクセルが6µm×6µmで、それを黒白黒白…と交互に並べた時に、ひとつの黒と白を1組とし、1mmの中に83の組(LP=ラインペア)が入る状態であり(1mm÷6µm÷2=83)、それを完全に解像させられる状態を「限界解像度」と言い、「MTF100%」の状態となります。逆に「MTF0%」は黒と白が交互に並んだものが判別できない状態です。

ライカとしては、このMTF100%となる83LP/mmの半分のMTF50%が写真撮影において必要とされる解像度と考えており、アポ・ズミクロンSL f2.0/35mm ASPH.を例にすると、40LP/mmでのMTFは90%以上と完璧に対応しており、MTF 50%相当では207LP/mmと、単純計算では4億画素相当のセンサーにも対応可能な解像度を持っています。この高い性能を発揮するために、13枚のレンズのうち非球面レンズを3枚採用しており、フローティングマウントされた2つのフォーカスレンズを最適に駆動させることにより、近接時の収差を効果的に補正することができ、最短撮影距離となる1m付近においても高い性能を維持することができています。

PHOTO YODOBASHIアポズミクロンSL f2.0/35mm ASPH.の解像力を示した図。縦軸がMTF(%)、横軸がLP/mmの値(LP/mm)となります。24MPのセンサーのMTF50%に相当する40LP/mm(緑の破線と赤の破線の交点)では、MTFが90%以上と非常に高い解像力を持ち、実際にMTF50%となるのは207LP/mm(緑の破線と赤の実線の交点)と400MP相当のセンサーにも対応する解像力を持っています。

これまでの「24MPのMTF50%で40LP/mm」という話は、光学性能の最も高いレンズ中心部での話でしたが、周辺においても解像力は高いレベルで維持されています。アポズミクロンSL f2.0/35mm ASPH.やアポズミクロンSL f2.0/50mm ASPH.では、中心から21mm離れた周辺部においても、74LP/mmを維持しています。MTF50%を基準とすれば、1億画素の解像度にも対応しているといえます。

また、周辺まで高いMTFを実現するために色収差を可能な限り補正する必要があり、プライムシリーズではすべてのレンズが「APO」(=アポクロマート仕様)となっています。ライカでは色消しレンズに長い歴史を持っており、昔はガラスを溶解するところからやっていました。生産には特別な取り扱いが求められる柔らかいレンズも採用したことがあります。

  • PHOTO YODOBASHI縦軸がMTF50%相当となるLP/mmの値(LP/mm)、横軸は中心からの距離(mm)。青の実線がSL 2/35、赤の実線がSL 2/50、緑の破線が1億画素に相当する74LP/mm。今後、高画素化が進むにつれ、こういった概念が必要となってきますが、ライカはこの概念のパイオニアであると考えています。
  • PHOTO YODOBASHI前ボケのマゼンダ、後ボケのグリーンの色収差は良好に補正され、高いMTFを実現しています。

なぜプライムシリーズを“F2”にしたかについてもお話ししましょう。ライカM用レンズとして、高性能で人気の高いズミルックスM f1.4/35mm ASPH.はMTF50%で43LP/mm相当と24MPのセンサーに適した解像力を持っています。一方でアポ・ズミクロンSL f2.0/35mm ASPH.はMTF50%で207LP/mmとひとつ上の次元の性能を実現しています。また、2つのレンズのピント面からのMTF値の変化を比べてみると、線の傾きやカーブの形状が似ているため、ピント面からのボケ方や立体感の再現がよく似た傾向となっています。またM f1.4/35mmに比べ、SL f2.0/35mmはピント面の解像度がより高く、アウトフォーカスへの落差が大きくなっているため、クッキリ感がより高く(=キレがある)、ピントの薄さも(=被写界深度)も近いため、F2であってもF2より明るいレンズと同等の効果が得られるため、コンパクトで高性能なレンズに仕上げることができています。

PHOTO YODOBASHI縦軸は40LP/mmでのMTFの割合(%)、横軸はピント面からの距離(mm)。赤い実線がアポ・ズミクロンSL f2.0/35mm ASPH.、青い実線がズミルックスM f1.4/35mm ASPH.。

(3) 高い信頼性

レンズの設計を行う上で、ただ高性能なレンズであれば作ることは難しくありません。ただ、実際に高性能なレンズを製品化し、安定した性能をユーザーに届けるということには、これまでと違うイノベーションが必要になりました。プライムレンズではその点においても新しいことをやっています。ここではそれを紹介します。

非常に高い光学性能を実現するには、工場で生産する時の公差を考慮し、安定した誤差の少ない製品を作る必要があります。また設計段階から生産時に誤差が出ても光学性能に大きく影響しない、つくりやすい設計をするよう配慮しています。ライカでは伝統的にそのような考え方を持っていて、通常は設計値に対して量産品は性能が下回ってしまうものですが、ライカでは量産品においても設計値に限りなく近い性能が出ていて、個体差や当たり外れの少ないものになっています。

プライムレンズは21〜90mmまで7本のレンズを予定していますが、これらを「プラットフォームコンセプト」という考え方で、できるだけ部品を共通化しています。これはコストを抑える効果もありますが、それだけではなく部品単位の性能が安定し、部品の管理もしやすくなり、7本のレンズを同じラインに流せるようになります。通常ならば、35mmレンズは小さく作れますが、それより広角のレンズでも、望遠のレンズでもより大きくなってしまうのが一般的です。プライムレンズでは広角でも望遠でもあえてレンズを同じ大きさに揃えています。望遠側や広角側のレンズにおいても高い性能であることを踏まえればコンパクトにできていると考えています。

PHOTO YODOBASHI7本のレンズを3つのグループに分け、それぞれでレンズ構成を兄弟のように近いものにしています。またレンズやパーツを極力共通化し、性能の安定性に大きく寄与しています。黄色はそれぞれのプラットフォームで近いパーツ。黄緑色は同じパーツ。外装パーツほぼ同じとなっています。

ライカM用のレンズでは、クラフトマンシップを活かし、組んで調整して…といった伝統的なレンズ生産を行っていますが、SLレンズではもっと現代的に洗練された生産方法を採用しています。工場側では、コンピューターでパーツ(群)単位の生産管理を行っています。パーツの段階で性能をしっかり出し、いいものだけを使ってレンズを組み上げています。部品はバーコードでユニーク管理を行うことにより、1本1本のレンズすべてを後からコンピューターでトレースできるようになっています。生産の段階でもパーツ単位でバーコードをスキャンし、組み上げる際に安定した性能となるよう確認を行っています。

PHOTO YODOBASHI二次元バーコードを使ったパーツ単位での品質管理。

なぜ中心部で4億画素、周辺でも1億画素にまで対応した非常に高性能なレンズを作っているのかということについてお話しします。技術者からみた「優れた写真」や「いい写真」というのは、寄れば寄るほどどんどん情報が出てくるような写真でないかと考えます。決定的瞬間を目の前にしたら、まずは被写体に集中してその場を捉えること。そして撮影したカットをフルフレームでも一部をトリミングしても写真として成立するようにしたい。どういうフレームにするかは、後から考えればいい。デジタルズームというものは拡大すれば解像度が落ちていきますが、より高画素になれば、例え拡大していっても十分に情報が得られます。1枚の写真から色々なフレームを引き出せれば、それだけ写真の世界がフレキシブルになるでしょう。

ライカSL向けのレンズは、将来のより高画素化したカメラにも対応できるようになっており、設計や生産においても安定供給が実現できています。それによって写真を撮る人にもたらされるメリットは、より自由な撮影スタイルが取れるということと、被写体に集中し決定的な瞬間の撮影が行えることではないしょうか。

最後に、ライカのレンズは頑丈さにも気を使い設計・生産を行っています。ライカの落下テストは非常に厳しいもので、メーカーによって様々な基準はありますが、そのひとつに「1mの高さから落としても動くこと」というものがよくあります。ライカではより厳しく、同じように1mの高さから落としても、ただ動作するというだけではなく、MTFの値が一定の基準を下回らないこと…といったような性能保証もしています。この基準はとても厳しいものでライカの伝統的なものでもあります。また温度変化などの環境テストも厳しく行っていることで高い性能を安定して発揮することができています。


ピーター・カルベ氏 インタビュー

— まず最初に、カルベ氏をまだご存知ではない読者の方に向けて、現在のポジションに至るまでの簡単な自己紹介をお願いします。

カルベ氏:学校を出て大学へ入る前に、カメラマンになるための職業訓練を受けました。その後、ケルンの工科大学で写真工学科に入りました。写真のあらゆることを学べるところで、この大学の出身者にはライカカメラ社の従業員が多くいます。大学を卒業してライカマイクロシステムズ社へ入社し、6年間顕微鏡関係に携わった後、1992年にライカカメラ社へ入社しました。以来、カメラ用レンズの設計に従事し、2002年から写真用レンズ設計のリーダーになりました。現在はレンズの光学設計とメカ設計、双眼鏡などスポーツオプティクス製品の設計を担当しています。

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— 以前、PYでレビューした際にSLのプライムレンズを手にして、「猛烈に写るな」という印象を持ちました。ライカSLは24MPという、フルサイズセンサーとしてはオーソドックスな画素数であるにも関わらずです。撮る者にそう感じさせる理由は何でしょうか?

カルベ氏:まず、レンズを作るときにできるだけ「クリーンに作る」ということ。クリーンには色々あって、芯をしっかり出すとか、収差をできるだけ抑えるとか、レンズの設計時に意図した性能を十分に発揮できるよう組み上げるなど様々なところに注力しています。またライカでは伝統的にカメラ側で“画”をいじらないようにしています。カメラ側での補完処理によって描写性能を上げるのではなく、レンズ側で性能を高めておきたい。ライカSLで撮影した写真は、すごくよいがすごくナチュラルで、人工的に画を作っていないと言えるものです。

— カメラは素直にレンズからの光を受け止めることに徹しているということですね。何か大きなブレイクスルーとなる技術があったというよりも、性能向上に繫がる設計や生産方法をひとつひとつ丁寧にやっていくことで高い性能を保っているということでしょうか?

カルベ氏:全くその通りです。特に、ライカSLのようなAFレンズになると、モーターや電子部品を含めて内部構成が複雑になり、レンズの構成枚数もライカM用のレンズのようにシンプルではありません。工場での組み立て時の公差を考慮した、性能をしっかりと保てる設計を行っています。レンズ側でシャープな画を作っているので、カメラ側でシャープにするようなことはできるだけしていません。それが拡大しても自然な写りであることに繫がっています。

— ライカSL向けとライカM向けのアポ・ズミクロンf2.0/50mm ASPH.があります。Mレンズのアポ・ズミクロン50mmはとても評判がよいレンズです。それぞれの大きな違いを教えてください。

カルベ氏:一番違うところはAFの有無ですね(一同笑)。ライカM用レンズはとても小型に作る必要があったため、少ないレンズ枚数となり、1枚のレンズのパワー(=割り当てられた仕事)を大きくする必要がありました。そのため設計はよりセンシティブになり、組み立てもよりクラフトマンシップに則った、スペシャリストが調整し追い込みながら性能を出していくという必要がありました。一方で、ライカSL用は作りやすく、普通に組み立てても性能が出るようになっています。性能はどちらも非常に高く、近接はライカSL用でよりよい性能が出ています。Mレンズは金属鏡胴で、人の手で動かしてフォーカスを行うため、精密切削加工が必要になり、組み立てる際に調整工程も必要になります。性能的には拮抗していますが、ライカSL向けのプライムレンズは性能と価格のバランスがMレンズよりも高まっています。

— 以前、他のインタビューで、ライカMレンズは少ないレンズ枚数で小さく作ることをテーマにしていると目にしたことがあります。ライカSLレンズではどのようなテーマ(優先順位)で設計を行っていますか?

カルベ氏: ライカSLが採用した「Lマウント」は、元々APS-Cフォーマットからスタートしましたが、ライカがAPS-Cフォーマット用のレンズをどうつくるか考えたときに、フルサイズフォーマットでもAPS-Cフォーマットでもセンサーのサイズは異なりますが、写真を鑑賞するときには同じ解像度が得られるようにしたいと考えていました(参照:ライカCLの発表会)。ライカSLではフルサイズフォーマットとなりましたが、APS-CフォーマットのTLレンズと同じ性能を求めたことにより、非常に高い解像力を持ったレンズとなりました。中判フォーマットに匹敵する性能が出ていると考えています。

— 日本をはじめ他のメーカーでは、最近F0.95やF1.2などに明るさに拘ったレンズを出してきていますが、ライカSLでは今回“F2”というスペックを選びました。その理由について教えてください。

カルベ氏:今回、SL用プライムレンズシリーズで“F2”という明るさを選んだのは、サイズや性能など完成されたシステムをつくりあげるために、「まずは最適なものだろう」ということで落ち着きました。SLレンズにはF1.4の明るいレンズもありますが、高い性能を求めれば非常に大きく重くなってしまいます。あと、ライカSLではライカMレンズをマウントアダプターを介して使うこともできますので、それで楽しんで欲しいと思っています。Mレンズはとにかくコンパクトですから。

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— ライカカメラ社はライカMシステムをはじめ歴史が長く伝統的なメーカーであるという印象があります。しかし、実際には(プライムレンズの説明にもあったように)新しいことを積極的に採り入れているメーカーでもあると感じています。過去を振り返ってみても、1966年に写真用レンズとして非球面レンズを他に先駆けて採用した「ノクティルックス f1.2/50mm」や、他にも「アポ・ズミクロンM f2.0/50mm ASPH.」や「ノクティルックスM f1.25/75mm」のような革新的な製品を数多く生み出しています。ライカの伝統的なもののなかに、新しいものを生み出していくユニークな発想や技術はどういったところから生まれてくるのでしょうか?

カルベ氏:とても大変なことで、毎日がビックファイトです(笑)。技術者の視点でいうと、2つあります。1つめは、周辺光量補正など電気的に改善しているものもありますが、電気的なものに頼りすぎず、光学のところで実直に素直でシンプルに良くしていくことを心掛けていること。2つめは、ライカは誕生以来「コンパクトなシステム」ということに評価を得ていますので、機能的なものをつけすぎてしまわないよう、使い勝手の意味でもシンプルになるよう気をつけること。ユーザーが実用し活かしてもらえる機能だけを入れるようにしています。それは多機能化が進むデジタルの時代になっても変わらない考え方です。

ライカの原点であるオスカーバルナックが作ったウルライカは、オリジナルコンセプトに還ると、それまでの写真は三脚に据えて撮らなければならなかったものを解放しました。小さなカメラに明るいレンズを組み合わせたシステムにより、スナップショットが可能になりました。高解像度にして撮った写真の一部をクロップして使うような使い方は、オスカー・バルナックが考えたスナップシューティングそのものです。デジタルズームもそうですが、撮ったカットをトリミングして写真にするような考え方について、否定的に考える人もいると思います。しかし、決定的な瞬間を撮るカメラだという考え方からすれば、こういった考え方もあるのではないかと思うのです。

— ライカではこれまでにも「アポ・テリート」のようにAPOのつくレンズがありました。近年登場している“APO”レンズとの違いについて教えてください。

カルベ氏:フィルム時代は色収差がデジタルの時代ほど厳しく見られていませんでした。望遠レンズによく使われていて、色ズレによるコントラスト低下を防ぐのが主な目的でした。今は、写真を気軽に拡大して見られるため、カラーフリンジを消すことに注目するようになっています。また解像感を高めていくには色収差の補正をしっかりやらなくてはならないので、APOが必要になりました。昔のAPOは今の基準からすると「ハーフAPO」といった具合です。いまはそれだけしっかりやっています。

ライカのAPOには長い歴史があり、1950年代から高い解像度が求められる顕微鏡のような小さな光学系のために使っていました。ライカ自身でガラスを溶解して、必要な硝材を作っていたのです。今は硝材メーカーのカタログにも色消しレンズがラインナップされていますが、ライカは深い経験により色消しのノウハウを数多く持っているのです。

— ライカSLは完全デジタルの設計となりますが、ライカMシステムはフィルムから続いているシステムです。近年発売されたレンズはデジタルカメラでの撮影に最適化されていると思いますが、フィルムのカメラにそれらの新しいレンズを着けた時は、何も気にせず撮ればいいのでしょうか?

カルベ氏:デジタル時代になって最も大きく変わったのは、センサーの撮像面の前にカバーガラスがあるということです。このカバーガラスは、レンズ性能にも大きく影響するため、デジタル化されたライカMカメラでは、カバーガラスを極力薄くするよう設計しています。ローパスフィルターを持たず、できるだけセンサーの前に何も置かないようにしていましたが、それでもカバーガラスが存在することを前提とした設計になっています。多くのカメラでは、フィルム時代のレンズをデジタルカメラで使う場合、カバーガラスの存在による性能の低下が見られますが、デジタルに特化してデザインされたレンズをフィルムカメラで使用すれば、カバーガラスが存在しないことによる逆の影響が若干ながら生じてしまいます。特に像面歪曲など周辺でその影響が大きくなります。ライカMカメラをデジタル化するにあたり、最初からそれが大きなテーマでした。ライカM8の開発時に約0.8mmの非常に薄いカバーガラスを採用しましたが、赤外カットの効果が弱いことなどもあり苦労しました。現在でもライカMデジタルの設計では大きなテーマとなっているものです。また一方でライカSLではその苦労と経験が活かされています。

— ライカSL向けのプライムレンズは21~90mm域に7本の展開を予定しているそうですが、ラインナップの幅をここから広げたり、さらに(間を刻んで)厚みを増すことは考えていますか?

カルベ氏:新しい製品は一般的には企画部門が考えることですが、私からみても今のライカSLレンズのラインナップはまだ十分なものではないと考えていますので、今後より充実させていきたいと思っています。今の製品はライカMシステムに近い焦点距離域を中心に進めていますが、今後はスポーツシューティングなどマーケットからの要望にも応えていく必要があると考えています。

— ライカSLのプライムレンズでは、共通化したサイズやデザインを採用しました。これは写真撮影だけでなく動画撮影にもメリットがあるように思いますが、設計や企画の段階からそういったことを考慮していたのでしょうか?

カルベ氏:動画撮影への対応については、レンズ開発時にはそれほど優先順位の高いものではありませんでした。それよりも生産しやすいことや性能を発揮しやすいことなどを考慮して設計を行っていました。ライカSLのプライムレンズは静止画用のレンズとして高い完成度を目指していますが、光学的にはほぼシネレンズといっていい性能となっています。共通化したフォーカスリングのデザインなど動画にも活かされてはいますが、プライオリティとしては静止画が一番です。

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— 近年、ズマロンM f5.6/28mmやタンバールM f2.2/90mmの復刻レンズが生まれましたが、現代の製造技術で当時のレンズを再現することについて難しいところはありましたか?

カルベ氏:当時指定されていた硝材が現在は手に入らないため、似たものや近いものを組み合わせて作るのに苦労しました。またズマロンについては、当時の製造システムが今と全く異なるため、今の製造方法に合わせるのが難しかったです。タンバールについてはさほど難しいものではありませんでした。このレンズは1930年台に戻ったような気分になれることが大事なレンズだからです。

— 未来のことは明かせないと思いますが、個人的に今後復刻してみたいレンズはありますか?

カルベ氏:ノーコメント(笑)。エンジニアとしては、過去のものにはあまり興味はないのが一般的です。こういったリバイバルレンズは、一般的に企画側から生まれてくるものでありますが、復刻したズマロンは昔のレンズながらも、現代的にみてもとても優れた設計がなされたレンズであり、そいう意味では取り組んでみるのは面白い経験となりました。ちなみに復刻したズマロンの光学設計はオリジナルと同一です。

— 逆にこのレンズはやりたくないというのはありますか?

カルベ氏:家族の誰が嫌いか?というのは言いづらいものです(笑)。技術的観点でいうとトリプレットのエルマー90mmには興味があります。非常に少ないレンズ構成で、小さく性能のいいレンズを作るということは、当時ひとつのマイルストーンになったのではないかと想像します。ただご存知の通り、f4.0/90mmというスペックのレンズは人気がないレンズなので、商売としては難しいのではないかと考えています。

— 新しく始まった「Lマウントアライアンス」でパナソニックとシグマが加わりました。ライカとして変化はありましたか?

カルベ氏:マーケティング的に見ると、1社でレンズを揃えていくのは非常に難しいことですので、レンズラインナップの充実に寄与してくれる存在は有り難いと思います。パナソニックとは2001年からの長い協業の結果、技術者レベルでの交流も深く行っています。パナソニックがライカから学んだこともあると思いますが、ライカとしてもパナソニックから学んだことが数多くあります。

( 2019.11.26 )