PHOTO YODOBASHI
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PENTAX 17 / SHOOTING REPORT vol.1 vol.2
このガツンと脳天をぶち抜くようなディープブルー。躊躇の素振りすらも見せない階調の見切り。そしてハーフサイズの常識を超えた切れ味。これがポジフィルムを迎えたPENTAX 17の本気モードです。クリックで拡大表示します。
PENTAX 17のレポート第2弾はポジフィルム編です。この令和の新型フィルムカメラは一つの現象と化しています。デジタルで要求されてきたものとは異なる写真文化が、再び、しかもフィルム時代当時とは違った形で世界的に広がっているのでしょう。今回使用したフィルムは「FUJICHROME PROVIA 100F(RDPIII)」。ISO 100の超微粒子ポジフィルムです。野球に例えると、ポジフィルムでの撮影は球種を絞った一発狙いのような感覚があります。こちらのカットも夏の日差しが直撃するハイライトのギラっとした感じを出すことだけを考え、シャドウは思い切って潰す方向で「-2」の露出補正をしました。イチナナ(以下、親しみを込めて)は部分測光です。強い反射光に敏感に反応するはずなので、そこに期待して1ショットのみでブラケティングはしませんでした。結果は良好。イチナナの露出計は自分の感覚とも相性が良いようです。そしてこの濃厚な発色とどこか厚みを感じる描写は、フィルムから離れていた自分の想像を遥かに超えていました。ポジってこんなにぶっ飛んでましたっけ?(笑)でもこの思い切りの良さがなんだか嬉しい。豊富な階調情報が写せてしまうデジタルでは、ここまでのレタッチは中々やらないと思うのです。意図を明確にして、階調幅のピークをどのあたりに当てるのかを現場で決める。そんなお作法も久しぶりに思い出しましたが、この緊張感、いいですね。趣味ってこうあるべきだと思うのです。
( Photography & Text : TAK )
前回と同様、まずはベタ焼きからご覧に入れましょう。失敗作も多数取り揃えております。後半がほとんど海なのは私が内陸部に住んでいることに起因する自然現象ですが、概ね良い感じに露光できていて安心しました。フィルムカウンター上では8カットほど残っていましたが、そこで終了。理由は日が暮れたから、そして翌日8枚撮ったとしても全く別の物語になり、セレクトすることもないだろうと思ったからです。「残りをどうしよう?」と考えること自体久しぶりでした。ちなみにイチナナを手に入れたユーザーからも喜びと共に様々な疑問が聞こえてきますが、その多くはデジタルには存在しないお悩みです。デジタルの進化も一段落した世界で、いつもとは違う風が吹いていることが面白いなあと思います。そしてその風穴は、イチナナが開けたのです。
今手に入るポジフィルム、これはネガよりも限られています。その中で今でも、おそらくファンの熱いリクエストに応える形で生産し続けられている有り難い銘柄が、我々が全幅の信頼を寄せてきたPROVIA 100Fです。ちょっとマゼンダがかったような雰囲気、ドスンと落ちる黒、パーンとぶっ飛ぶ白、どれも懐かしい。アスファルトも実際こんな色してませんもの。でもいいんですよ、これが。
フィルム時代は「PROVIA=スタンダードな絵作り」として認知されていましたが、今の基準で見ればむしろハイコントラストで発色も派手目です。デジタルカメラの多くは、カスタムモードのように仕上がりのテイストを選ぶことができます。フィルムの銘柄を意識したものもいくつかありますが、モデルとなっているフィルムそのものの方がキャラクターが強く、かなり振り切った画作りにも見えます。これはデジタルカメラ全般が後処理耐性も考慮した画作り、つまり高い素材性を重視した設計になっているためで(特にRAWデータ)、それと比較するとフィルムの描写がどうしても濃厚に見えてくるのです。
今でこそ「撮って出し」と言いますが、ポジは初めから撮って出し。でもこれ、楽なんですよね。レタッチに悩むことすらありません。デジタイズもネガよりはるかに楽で、撮影した画像とライトボックスで照らされたポジができるだけ同じように見えるよう微調整したくらいです。まあ目にどう見えるか、微調整の塩梅は人それぞれになりますが。もちろん、この画像も最後はデジタルカメラで撮影しているのが皮肉ですが、それ以外にお見せする方法がないもので。ただ面白いのは、デジタル化してもなおフィルムらしさは厳然と現れていることです。デジタルカメラで同じ条件で同じ被写体を撮ってもこうは写りませんからね。明暗差のあるシーンではコントラストが強調され、このカットもどこか中東あたりの映画を見ているような気分になります。そして一瞬コダクローム25の絵も頭をよぎりました。もちろんプロビアと並べて見たら全く違うのでしょうが、デジタルに比べるとコダクロームの方がプロビアに近く感じます。色んなフィルムがあったあの頃は今思えば幸せでした。もちろん当時に今のデジカメを見せられたら卒倒するほど驚いたと思いますが、これからもっと多くのフィルムが使えるようになって、両方楽しめたらいいなあと思います。
近距離でピンボケ。どうして?
ここで臨時ニュースです。第1弾のレポートで不可解だった、近距離側でピントを外す主な理由が判明しました。ゾーンフォーカスのゾーン間にギャップがあるのです。説明書には、「マクロ」の「ゾーン」が0.24-0.25m、「テーブルフォト」が0.47-0.54m、そして「至近距離」が1-1.4mと記載されています。つまり、0.25-0.47mの間、0.54-1mの間はピントが合わない可能性があります。
これらの値はおそらく絞り開放での計算と思われ、絞り値が小さくなるほどゾーンは拡大し、互いがオーバーラップすることで縮小する空白地帯もあるでしょう。ただやはり近距離側ほどゾーンの変化は少ないので、注意が必要です。しかもプログラムオートなので、被写界深度を稼ぐため意図的に絞り込むことができません。失敗を最小限にするには「至近距離」より遠いゾーン(空白地帯が無い)で撮る、近距離側では空白のゾーンを避けるアプローチも考えられますが、中々神経を使うところですね。私自身、プライベートの撮影では1mくらいまでしか寄りませんし、失敗してもフィルムなら笑って許せてしまうので問題ではないのですが。
なお前回、今回と諸事情により付属品のストラップが手元にない状態でした。ピンと張ると最短撮影距離になり、マクロ撮影にも重宝する素晴らしいアクセサリーです。そういえば昔のオリンパスXA4なども同じ仕組みでしたね。懐かしい。
デジタルだともう少し抜ける場面ですが、この仕上がりを見て何か不足に感じるかというと、全くそうではないのです。ハイライトの粘りも上々で、むしろ抜け過ぎない分、空気の厚みを感じます。まさにフィルム一枚分の厚みなのかもしれません。
露出補正のマイナス最大幅である「-2」に補正して撮影してみました。確かにワンちゃんは飛んじゃってはいますが、まさに予想していた通りの飛び方です。やはりこのカメラの部分測光は結果が予測し易いですね。ご自分の露出感覚をお持ちであれば、経験値がそのまま生かせるでしょう。この白の表現にも量感や厚みがあり、フィルムの懐の深さを感じます。「至近距離」(1-1.4m)にピントを設定しましたが、背後のボケ具合もよろしいのではないでしょうか。
相変わらず光芒が美しい。そしてポジのシャドウも侮れないことがわかります。空の粒子も実に美味ですね。以下は全くの持論ですが、フィルム自体が既に持っている厚みが及ぼす画質への影響があるはずです。フィルムには感光乳剤が塗ってあり、その乳剤面自体、極薄とはいえその分の物理的厚みがあります。その厚みの中で粒子が手前にあったり奥にあったりするとすれば、フィルム自体が3Dということになります。上下左右のみならず前後にも広がる粒子が一体となって、厚みを感じさせる像が浮かび上がってくるのでは?前にある粒子と後ろの粒子ではサイズも異なって見えるのでは?、という全くの超ミクロな推論でございます。図々しくもこれをベースに考えると、フィルムは何万画素相当かという問いもこれらをどこまでカウントするかにもよるので、一概には言えないだろうなと思うわけです。また粒子と画素とではどちらが小さいかは想像がつきます。しかも粒子はサイズも形状も100%均一ではないのです。つまりデジタルのスタンダードをそのまま持ち込んでも、科学的に立証することは困難でしょう。ただ、ミステリーはミステリーのままでもいいかなとも思います。フィルムって、うまく説明できないけど何かいい。それでいいのかもしれません。
「うなぎ食いたい」。フィルム時代には存在しなかった酷暑に対する怨念を、この味のある書体に投影しました。この日も本当に暑く、撮影よりも休憩時間を多く取りました。熱中症は突然やってきます。皆様くれぐれもご自愛ください。相変わらず縦位置が多いですが、ホールディングが横位置で楽なので全カット縦位置でも何の違和感も感じません。そのうち目まで縦位置になるかも。
ポジでISO 100ともなると、本当によく解像しますね。このパンチの効いた色も、ポジの独壇場かもしれません。「パンチがある」、全世代がお分かりですよね。カセットテープ、聴いてますか?私はハイレゾです。
いい。実に佳い。昭和期の階段でしょうか。プラモデルを買ってくれると言うので、セレクトに時間をかけすぎて親の堪忍袋の尾が切れ、結局買ってもらえなかった少年時代を思い出すほどのリアリティです。
深部体温も上がってまいりましたので、電車の中で冷却し、次の目的地へ。他の方も車内に入るとホッと一息ついているご様子で、ご自分の駅に着くとまた意を決して下車されます。大動脈から毛細血管へ向かう赤血球のように、それぞれの居場所へと向かっていくのでしょう。こういうしみじみとした気持ちで撮った写真も、画素より粒子向きかもしれません。しかしこのレンズ、性能もさる事ながら画角もちょうど良いですね。37mm相当の画角は広過ぎず狭過ぎず、如何様にでも料理できる懐の深さがあります。昔のコンパクトカメラではこの辺りの焦点距離がよく使われていました。
古い映画を見ると暗いところは本当に真っ暗ですが、今の高画質映像では暗部にもしっかり情報が刻まれます。しかし、例えばミステリアスで怖い感じを演出したければ、ベースは真っ暗の方がはるかに怖い。階調情報を生かすことよりも表現をゴールとする場合、情報は端折った方が好ましい時もあります。暗黒の中、人物にだけライトが当たり瞳がギラッと輝いていると、やはりギョッとするのです。むろんフィルムの特性上そう撮るしかなかった時代的背景もあるのですが、やはりフィルムは一番伝えたいことだけで一点突破するような表現と相性が良いのかもしれません。見やすさというよりは、これを見ろ!という気迫めいたものがフィルムにはあるような気がします。
カメラを固定して低速シャッター(フラッシュ非発光)モードにて撮影。シャッター速度は最長の4秒が出ていたと思います。おそらく絞りは開放でしょう。露出もほぼ見たままですから、やはりこのカメラの自動露出は優秀と言わざるを得ません。調子に乗ってバルブもやってみたのですが、調子に乗りすぎて播磨の海が南極大陸のようになってしまいました(ベタ焼き参照)。それにしても手前の、これは波消しブロックでしょうか、コンクリートの質感が角砂糖にも見えてきて絵画的です。ボケも美しい。
ピントは「テーブルフォト」、低速シンクロ撮影モードにて撮影。フラッシュで手前を照らしつつ、後方は見た目通りの露出におさめました。ボケ味も相変わらず良いですよね。このトリプレット、惚れました。
ポジフィルムでさらに牙を剥くレンズ性能。イチナナ、かなりやってくれます。
超微粒子のポジフィルムで撮影してみて、イチナナについての理解も一層深まったように思います。特にレンズ性能に改めて驚きました。やはりデジタルという一大革命を経ての最新設計、しかもハーフサイズでシャープに写ることを想定しているだけあって、恐ろしいほどに高性能です。まあハーフサイズと言っても実はAPS-Cサイズとほぼ同面積なので、デジタル一眼レフ用レンズで培ってきたノウハウも生かされているのかもしれません。ともかく、枚数の少なさやHDコーティングが奏功しているのか逆光すらものともせず、9枚虹彩絞りの絞り羽根を通り抜けた光は見事なまでの光芒を結びます。コントラスト、階調、色再現性などすべてが絶妙で、ペンタックスらしさに溢れています。最新のデジタルカメラでも完全に通用するでしょうね。露出もプログラムAEのみではあるものの、概ね思った通りに決まります。露出補正を使った時も使わない時もほぼ自分が狙った通りの明るさに写ってくれました。補正幅こそ昨今のデジタルカメラより狭いですが、そもそも基準の露出が的確なので問題ありません。この辺りは撮る側のスキルも求められる世界なので、カメラ側の仕事としては文句なし。どうしても補正幅を拡大したければ、感度ダイヤルを上げ下げすればよいことですし。
イチナナは銀塩はもちろんデジタルを経たペンタックスの英智が詰まった、最新のカメラなのだなとつくづく思いました。レトロで緩い描写を期待すると、「なめんなよ」と言われそうです。これは懐古調を求めてレコードを聴いたら音が想像以上で驚く現象にも似ています。それなりの水準の機材でレコードを再生すると、CDの周波数帯域を遥かに凌ぐ、濃厚かつ心地良い音質で聴くことができます。ハイレゾも何も、そもそもサンプリングすらしないアナログのポテンシャルは、底が知れない。今回の撮影でも、まさにそう思わされました。緩い表現を追求するならクラシックカメラが近道でしょう。ちなみにそのクラシックカメラも、発売当時は現役としてキレッキレの性能を発揮していたはずで、決して「レトロ」などと感傷に浸るものではありませんでした。私の手元にもクラシックカメラはありますが、もれなく時を経てオリジナルとは異なる状態になっており、そこで生じた「緩さ」を味として楽しんでいます。ピッカピカのイチナナは、フィルム本来の力を解放できる、そしてクラシックカメラの現役時代にも思いを馳せられる、タイムレスな最新型カメラなのです。
フィルムについても色々と考えさせられました。デジタルカメラは「誰でも押すだけでキレイな写真が撮れる」という人類の夢を叶えてくれました。それどころか、押す前から結果が見えてしまうという有難い副産物までもたらしたのです。ただ、純粋に楽しむという意味において、最初から答えが見えている試験問題からどれほどの達成感が得られるのか。フィルムの究極の価値は「現像が終わるまで結果がわからない」、これに尽きると思います。すぐわからないから、悩み、探す。それを繰り返す中で、感覚が磨かれていく。カメラではなく、人間のスペックが向上するのです。フィルムは着実に数を減らしていましたが、最近では新製品に関するニュースもちらほらと聞こえ始めています。このカメラが出てきて以降、潮目は変わりつつあるようです。再び点火された焚き火に集まるが如くフィルム祭りのスケールは拡大し、国籍を問わず、フィルムカメラをぶら下げている方も相当おられます。この情熱、もう理屈じゃないんですよね。いや実際、機材で表現を変えたいのならむしろフィルムの方が経済的かもしれません。仮に別のデジタルカメラを購入するとしても、表現が変わったと思えるまでには相当な出費が必要でしょうし、どう頑張ってもデジタルはフィルムにはなれません(逆もまた然り)。例えばフルサイズセンサー搭載の最新ミラーレス機と単焦点レンズのセットで350,000円とすると、そこからイチナナの分を引いて262,000円。PROVIA 100Fと現像代で5,800円ほどとすると、約45本分、つまり1620コマ分、いやハーフだから3240コマ分です。デジタルでは随分と少ない数ですが丁寧に撮るフィルムでは相当な数であり、ネガなら更に多くの写真が撮れます。
イチナナが依然として入手困難であることは私共としても誠に心苦しいのですが、その一方でこれだけの方々が待っていてくださったのかと、嬉しくなりました。「5分でわかる」「ネタバレ」「タイパ」。効率最優先モードの世の中と思いきや、そうではなかった。「夢」に対価を払う粋な方がこんなにもいらっしゃるなんて、世の中まだまだ捨てたものじゃありません。極論ですが、最も深い充足感を得るための最も簡単な方法は、「逆タイパ」かもしれません。結果がわからない状況に身を置き、試行錯誤して、達成すること。失敗しても焦らず、プロセスを楽しむこと。PENTAX 17は、いわばその最新デバイスなのです。
- PYにわか鉄道部(部員1名)講評 -
最高速1/350秒による被写体ブレは仕方がないとしても、シャッターを切るのが早過ぎる。ここは右3分の1のところに機関車を配置し、海も見せつつ、左側にもう少しコンテナを多く写して貨物列車らしさを表現すべきであろう。今の季節、このポイントではこの列車が通過する時刻から背後の山の影が出てくることも知らなかったようだ。また、見えの良いファインダーで枠内に捉えていても、ビビって肝心の眼球が左側を向いていたのだろう。EVFに依存しきった視覚を今一度鍛え直してほしい。とはいえ、昭和の電気機関車が両パン(前後両方のパンタグラフ)上げて来て、嬉しくて焦ったのはわかる。失敗は自分の本質を教えてくれるありがたい現象。この撮影者も基本自分はビビリーなんだと再確認したに違いない。知識やスキルを身につけたとしても、性根は変わらない。それでいいのだ。今、フィルムでええカッコしてもしゃあない。このカメラでしか写せない自分の根っこを、これからも撮り続けてほしい。イチナナ、響きが機関車風でイイヨネ。
( 2024.08.07 )
夢を買う素敵な方に、このカメラが一刻も早く届きますように。
先にフィルムだけでも、いかがでしょうか。私はそうしています。
往年の電気機関車「ED17」。模型ならいつだって会えます。
南沙織の名曲をカバーした「17才」も収録。デッドオアアライブ風のイントロも聴きどころ。
素数っていいですよね。
この辺りの雑誌にもフィルムカメラ特集を組んでいただいて。