シグマ社インタビュー[04]

Foveonとの出会いとSD1に至るこれまで 〜シグマ社インタビュー〜

今回シグマのカメラを特集するにあたって、本社および会津工場にお邪魔して開発と生産の現場を拝見し、お話を伺うことができました。カメラを売る立場であり使う立場である私たちにとっても、なかなか目にする機会のないものや触れることのないお話。シグマという会社がどのようにこれだけエッジの効いたカメラを生み出してきたのか、その一端でもお伝えできればと思います。

 

レンズだけではなく、完結したカメラシステムを作りたい

山木社長「実はフイルムのカメラも結構作ってきているのです。うちが創業したのが1961年で、最初のカメラはM42マウントのマークI。1976年の発売でしたね。その後Sa-1というカメラが出て、高校生の時に旅行に持っていったのを覚えています。」

シグマというメーカーについて、おそらく多くの人は「交換レンズを作っているメーカー」という印象をお持ちのことでしょう。しかし古くから、カメラへの意欲はあったようです。

山木社長「やはりレンズメーカーというだけではなく、最終的にカメラシステム全体をきちんと作れる会社にしたい、そういう強い夢があったんですね。自社ではじめてイチから作ったカメラは1993年のSA-300なのですが、そこからSAシリーズが続いて、2000年のフォトキナで発表したSA-7・SA-9がフイルムカメラの最後。そのときからスパッとデジタルの開発に切り替えました。」

65万円という、当時としては低価格のデジタル一眼レフカメラ「D1」をニコンが発売したのが1999年。コンパクト機ではデジタルカメラがフイルムを追い抜こうとする時期であり、デジタルへの流れはすぐそこに迫っていました。デジタルカメラを作るとなると、光をキャプチャーするところから画をつくる所まで全部やらなければならない。高いハードルを前にしたシグマにとって、その後を運命づけるFoveonとの出会いがまさに2000年のフォトキナにありました。

Foveonセンサーに懸ける

山木社長「当時のFoveonはまさにベンチャー企業でしたね。カリフォルニアの自由な空気の中で、3つのCCDを搭載したプリズムカメラを作っていました。それ自体はあまりうまくいかなかったようなのですが、すごい技術者が沢山いて、そのうちの一人ディック・メリルというエンジニアが発明したのが3層構造のセンサー。はじめて聞いたときには、耳を疑いましたね。」

フォトキナが終わると山木社長は技術者を連れてアメリカに飛び、Foveonの技術者とやり取りを行う中でその革新的なセンサーに手応えを感じはじめます。こうしてシグマとFoveonによる共同開発が始まるのでした。

山木社長「当時、デジタルはフイルムを絶対に超えられない、なんて言われている時代でした。それはセンサーの物理的構造にあるわけですが、3層構造のセンサーはそれを超えられる可能性を持っていたんですよね。これに賭ける価値はあるだろう、と。我々が他社と同じことをしていても、仕方がないですからね。」

それから2年の後、SD9という革命的なカメラが産声をあげるのです。

SDシリーズの進化、DPシリーズの発表

ほとんどの事がシグマにとって初めての経験であったSD9。その画は市場に驚きを持って迎え入れられ、やがてSD10、SD14、SD15と進化を続けます。それぞれの時代に、その時々の状況と進化がありました。

光機技術部 武澤さん「SD9はSA9のカメラ部分を利用してデジタル化したので、カメラとデジタルが別電源だったんです。SD10になって電源はひとつになったのですが、充電池式になったのはSD14でしたね。」

ソフトウェア開発部 中村さん「大電流を安定して流すというのに苦労しました。SD14まではパソコンに入ってもおかしくないようなCPUを入れて画像処理をしていましたから、他社のデジタルカメラよりも消費電流が高くて。」

山木社長「苦労したといえばSD9もそうですが、SD14ですね。センサーが第2世代となって変わったのと、システム的に3つのCPUが通信するというリッチな作りをしてしまったんです。その分通信が複雑で難しいものになって、仕上げるのに時間がかかりました。シグマは発表してから発売が2年後、なんて言われるようになって(笑)」

同じように発表から発売まで時間がかかったのはDP1。大きなサイズのセンサーを搭載したコンパクトカメラというコンセプトは、シグマが先鞭をつけた世界です。

光機技術部 武澤さん「それまで一眼を作っていたわけですけど、まずあの大きさの中に収めるということがなかなかイメージできなくて苦労しましたね。」

山木社長「もともと初期のセンサーはコンパクトカメラで使うようなものではなかったんです。要するにライブビューを流しながら一回リセットかけてシャッターを切って、といったことが想定されていない。だからバックエンドでそれを補う形を作る必要がありました。」

ソフトウェア開発部 中村さん「ファインダーはライブビューで、電池は小さく。難しい条件ばかりです。」

DP1が与えたインパクトの大きさは、その後多くのメーカーが同種のコンセプトに進んでいったことからも伺えます。シグマは新しいカテゴリを拓いたのです。

そして驚愕の写りを実現したSD1へ

山木社長「2008年のフォトキナの直後にFoveonを買収したんですが、SD1のプロジェクトが始まったのはその1カ月後くらいですかね。画素数を増すことによって、解像度というよりもむしろ階調性が圧倒的に良くなるだろう。そういう狙いはありました。」

2011年、SDシリーズのフラッグシップモデルとして生まれたSD1。その画が従来機と一線を画すものであることは、本サイトの作例にてご確認いただけると思います。

電子技術部 小西さん「エンジニアの視点というより感覚的な話になるのですが(笑)・・・遠くにあるものと近くにあるもの、細かい部分や粗い部分など、拡大縮小してみたときの全体的なバランス。そのあたりにFoveonセンサーのアドバンテージが出てくると感じますね。」

光を素直に拾うセンサーであればこそ、そして高画素化が進んだSD1であればこそ、レンズに求められるものはシビアになるはずです。Foveonセンサーを使ったデジタルカメラの開発の中で、シグマのレンズがより高い次元を求められ、鍛えられていったことは想像に難くありません。実際、シグマの現行レンズには目を見張る描写を叩き出すものが少なくないのです。

開発の背景を伺い、実際の生産現場を拝見してみると、シグマという会社の真摯な姿勢や考え方を強く感じることができました。他と同じでは意味がなく、シグマにしかできないものを生み出したい。限られたリソースを効率的に、そして目指すと決めたところにまっすぐに取り組む。旧き良き日本のモノづくりのあり方を残しつつ、現代的なモノづくりを融合する。そんな印象を得た今回の取材でした。

これからもシグマは、シグマにしか作れないものを産み出してくれることでしょう。それができる風土があり、それができる人々が居る。そんな会社だから生まれてくるものがあるのだと思います。

Foveonとの出会いとSD1に至るこれまで 〜シグマ社インタビュー〜

スポーツファインダー!?

※SD9/SD10はフルサイズ一眼レフ用のファインダーにデジタルでの撮影範囲がわかるようマスクをかけたファインダーであった。。。

 

マニアはSD14好き!?

※SD9に関しては、画素数が少ない方がモニタ上で一見キレがあるように見えるだけのような気がしないでもないですが。。SD14の色は本当にある種独特ですね。

Foveon試作機!?生誕の地で起動なるか?

 

 

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