PHOTO YODOBASHI
ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン
Voigtlander NOKTON 50mm F1.2 Aspherical SE
[ズーム] 広角 | 標準 | 望遠 | 高倍率
[単焦点] 広角 | 標準 | 望遠 | マクロ
2020年7月に発売されたEマウントの「Voigtlander NOKTON 50mm F1.2 Aspehrical SE」です。敢えてスチル写真での撮影に特化、デクリック機能を搭載しないことで大口径ながらコンパクトな設計を実現したAspherical SEシリーズですが、35mm、40mmに次いで、満を持して登場したのがこの50mmです。当然ながらボケ量はもっとも大きく、F1.2の大口径をいちばん楽しめるレンズとなっています。
写りに関してはこれからご覧いただくので、その他のところで言うと、外装のローレット加工やフォーカスリングの感触などは、もはやお家芸とも呼べる安定の出来ばえ。特に後者については、この記事を書きながらどのぐらいのトルク感だったかを思い出そうとしているのですが、一向に思い出せません。忘れたのではなく、そもそも記憶していない。つまり、重いとも軽いとも感じさせない、完璧に自然かつ適切なものだったということでしょう。ここ、マニュアルフォーカスレンズでは写りと同じぐらい大事な部分ですが、撮り手に不満はもちろん、敢えての言い方をするなら感心すらさせず、撮影に100%没頭させてくれたわけです。F1.2のレンズです。当然、今回の作例はすべて開放。ド開放です。F1.2の圧倒的なBokeh Worldを心ゆくまでご堪能ください。では、行ってらっしゃいませ。
( Photography & Text : NB )
点光源の口径食はありますし(一段絞れば解消します)、光線によってはフリンジだって出ます。でもそんなに目くじら立てるようなことでもありませんね。だいたい、そんな些細な欠点も見逃せない人たちは最初からもっと高い(そして重くて大きい)レンズに目が行っているでしょう。われわれはこれでじゅうぶん。むしろ好ましい。フィルム時代から写真を撮っている人やヴィンテージのレンズに嵌っている人なら、それを「味」と呼んで歓迎するに違いありません。もちろんここではそんな話をしたいわけじゃありません。F1.2のレンズとくれば、どうしてもボケや被写界深度に注意が行ってしまいますが、写りの基本性能の部分に目を転じてみれば、実に素直な質感描写をしていることが分かると思います。温度が伝わる質感描写、とでも言えばいいでしょうか。そして、全体的に柔らかな描写の中にあっても、シャープに写って欲しいところはちゃんとシャープに写る。とても使いやすいレンズだと思います。
大きなボケと、浅い被写界深度がもたらす立体感、浮遊感。ややワイルドなボケ味が、これがF1.2であることを思い出させてくれます。いつ、誰が言い出したのか「50mm=標準レンズ」という呼び名。これの語源にはいくつかの説があるようですが、要するに「画角や遠近感が人間の目に近い」というところから来ているのは事実のようです。でも人間の目は単なるセンサーではなく、意識と直結しているという大きな特徴があることを忘れちゃいけません。要するに意識を集中させている対象だけがハッキリと見えて、その周りのものが見えていない(意識の外にある)という状態がわれわれには度々ありますが、写真ではそれを「フォーカス部分」と「アウトフォーカス部分(=ボケ)」という写りの違いに置き換えて表現しているわけです。であるならば、このぐらいピント部分が浮き立ち、逆に意識の外にあるものは大きくボケて、初めて「人間の目に近い」という言い方ができるようになるわけで。つまりこれが「本当の標準レンズ」なのです。
F1.2に求めるもの
50mm F1.2というレンズに何を求めるのか。私の場合ですが、誤解を恐れずに敢えてひとことで言うなら、「ある種の危うさ」です。F1.4のところに大きな川が流れていましてね(あ、そのまま読み進めていただいて大丈夫ですよ)、その向こうは未開の地なんですよ。川を渡って向こう側へ行った、勇敢な人間も何人かいた。でも殆どは帰ってこなかったし、無事に帰ってきた者も、向こう側で何を見たのか、多くを語ろうとしない。つまりですね、まだまだ探検の余地があるということ。完璧な地図が作られて、隅々まで正確に分かるのはF1.4まで。その先は、まだいろいろあって欲しい。レンズによって見え方がまったく違う、地図のない(あるいは地図がまだまだ不正確な)世界であって欲しい。
例えば、本文のいちばん最初にある、昔ながらの「ガチャガチャ」を写したカット。これが私がイメージする、そして「こうであって欲しい」という50mm F1.2の写りです。ハイライトにふわっとまとわりつくフレア。朧(おぼろ)げな輪郭。ある種の破綻を孕みながら崩れていくボケ。それは小さな頃の記憶、あるいは今朝見た夢を思い出しているような感じ。「立派な橋がかかって、もう車で5分で行けるようになりました。向こうにはスターバックスだってありますよ」となる日は必ず来ます。いや、もう来ているかもしれません。だからこそ、もうちょっとこの「危うさ」を楽しんでいたい。よく考えてみれば、それはとても贅沢なことなんですが。
とは言え、そんな写りをするのはむしろ条件が揃った時の限定的な話だというのは、作例をご覧いただければお分かりいただけると思います。いろんなオマケがあるレンズ、という言い方もできるでしょう。開放からまったく破綻のないレンズが当たり前の今となっては信じられない話ですが、そもそも「開放で撮る」って、それなりに冒険でしたよね。フォクトレンダーのレンズは、見た目だけでなく、写りに関してもクラシックレンズの魅力を今に伝える伝道師です。すべてにおいて今ふうの、優等生レンズももちろん結構。というか、多くの人はそちらに魅力を感じるのかもしれません。でも「レンズの味」という言い方をした場合に、本当に味わい深いレンズって、実はそんなにたくさん無いんじゃないかなあ、という気がしてならないのです。
( 2021.01.27 )
どうせなら
3本まとめて
行っちゃいませんか?