PHOTO YODOBASHI
ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン
PENTAX K-3 Mark III Monochrome / SHOOTING REPORT vol.1 vol.2 vol.3 vol.4 vol.5 vol.6 vol.7
なぜモノクロか
K-3 Mark III Monochromeを手に入れてから約1年、様々な場面に持ち出して来ました。レビュー担当者がしばしば経験する、「自分でレビューしといて欲しくなって買った」世話のないパターンです。理屈抜きの魅力に金銭感覚をコロリとやられました。のめり込み具合については既にお伝えしてきたとおりですが、そもそもなぜモノクロで撮るのか、漠然とした疑問が頭の中にぼんやりと浮かんでいました。あまりに壮大な疑問ではありますが、「光と影だけで見せるトーンの美しさ」「モノよりもコトに注意がいく」「カラー撮影時とは異なるモノクロの眼」といった王道論をここで繰り返す必要もないでしょう。それよりも、色とは何なのか。まずはそこから考察してみます。
( Photography & Text : TAK )
世界はモノクロ。人類は3色型。
実は、物自体には色はありません。物の色は人がそう判断しているだけと考えられています。物が光を反射して眼が反応できる範囲の光(可視光)を感じる、それが色です。光は波。物は特定の波長の光を吸収し、それ以外の波長の光を反射します。波長とは文字通り波の頂または底同士の間の長さです。人間の網膜には視細胞という光を受容する細胞があり、錐体(すいたい)細胞と桿体(かんたい)細胞の2種類があります。錐体は明るい所での色の判断を得意としていて、桿体は暗所で物を見る役割を持っています。つまり色に関しては錐体が大きな役割を担っていて、光の反射光の波長によって3種類に分けて電気信号に変換し、それを視神経が脳に伝え、脳が3つの電気信号の比をもとに認識しています。この3種類の波長とは、長(L)、中(M)、短(S)。長いものは赤(R)、中間のものは緑(G)、短いものは青(B)と認識し、その混ざり具合で様々な色を見出しています(3色型)。文字通り「脚色」です。そして、光がなければ反射もしませんので人間は色を見出すことができません。だからこそ、暗いところほど色がなくなって黒に近づいていくのです。逆に最も明るいのは白で、RGB全てが均等に混ざった状態です。
この色認識プロセス、実は本レビューの第4回「モノクロ画像からカラー画像を生成する」でご紹介した手法に似ています。レンズにR(赤)、G(緑)、B(青)のフィルターを装着、1枚ずつ撮影し、編集ソフトでRGB合成します。3色のフィルターは視細胞と同じ役割、つまりRフィルターはL錐体、GフィルターはM錐体、BフィルターはS錐体のような働きをします。その3種類の波長をK-3 Mark III Monochromeと共同で電気信号に変換し、編集ソフトが3種を合成して色を生成します。ともかく、カメラの進化って人間の視覚に基づいていることが多いですよね。というより、それ以外に始めようがないのでしょう。人間ができることはクリエイトではなく、アレンジなのですから。
悪ノリにて申し上げますが、RGB合成、カメラ内できたら楽しそうです。フィルターを販売し、購入者がプレミアム機能としてアクティベートできるようになったら私買います。
この写真は可視光カット、赤外線透過フィルターを装着して撮っていますが、夜行性のヘビ類は赤外線を感知することができます。鳥はRGBに加えてUV(紫外線)も見えますし、ハトの卓越した帰巣能力の源は視力にもあるらしいという話まで出て来ています。実はもともと哺乳類も紫外線が見えていたのですが、恐竜に怯えて夜間に活動するうちに紫外線とM(緑)の錐体が退化したままであると考えられています。恐竜絶滅後、突然変異でM錐体を取り戻したサルが生まれその種が生き残り、人類は3色型となったと考えられています。今私たちが感じている色は、緑を再び獲得したサル先輩のおかげ。偶然の産物なのです。ちなみにカラーフィルターのRGB構成比は1:2:1とGが他の2倍になっていますが、Gを増やして暗所用の桿体のような役割も兼任させているのでしょうか。門外漢なので詳細は分かりませんが、Gが最も光に敏感なのだそうです。
現実は相対的
ここまでの話をまとめると、色は見る側、つまり光を受け取る側の色識別能力で変わると理解して良いでしょう。ちょっと脱線しますが、最近、アナログ好きのフォトヨドバシ編集部員から昭和のポータブルレコードプレーヤーを貰って、再生を楽しんでおります。高低域は全く聴こえないので「プチプチノイズ」すらない、というより鳴らす能力がないのです。中音域だけ聴こえてくるので、実に心地良く時々寝落ちしてしまいます。決して高音質ではないのですが「ごきげん」で、豊かな気持ちになるのです。色の世界も、同じなのかなと思います。光がいくら美しくても、識別できない波長のものは見えない。その中で我々が真実だと思っている「現実」は絶対的なものではない、写真の「真」は当座のものであるということは、頭の片隅に入れておこうと思っています。
ちなみに視細胞の働きや認識には個人差があるのだそうで、先述のLMS錐体の構成比にも個人差があります。ベイヤー配列で言えば、全員のRGB比がぴったり1:2:1とは言い切れないということになります。例えばAさんよりL錐体が多いBさんがいるとして、Aさんの世界はBさんの世界よりも赤みがかかっているのか。科学的にどの程度証明できるかはともかく、違う可能性はあります。また暗所専門の桿体の量はもとより、電気信号を処理する大脳の働きにだって個人差があるでしょうから、皆が全く同じように明暗を認識しているとも考えにくい、、、。グリーンランドに住んでいる人と、ハワイに住んでいる人とではやはり違うと思うのです。
「現実に忠実」「見たまま」、私もつい多用してしまう便利な表現です。あくまで「筆者の見え方において」という条件が大前提となりますが、見え方が違う者同士で見解は一致するのか。宇宙の話をしているような途方のなさを感じますが、標識の色によるコミュニケーションが成立している程度には似ているとも言えますし、芸術や表現といった世界でも好みや文化的指向が出てくる程度の違いはあるかもしれません。神は細部に宿る。レンズやカメラや画処理の好みが人によって違うのもごくごく当然のことです。当編集部員の中でも露出やボケや色味など好みは皆違いますし、世の中全体となればそりゃもう千差万別ですよね。
もう一度まとめると、「物自体に色はなく、物が異なる波長の光を反射したものを人間が脚色して見ている」という考え方が今主流のようです。つまり、世界はモノクロ。人間の世界が後付けの色彩に溢れているのです。「なぜモノクロで撮るのか」という疑問に戻ると、世界が元々モノクロであるならば質問自体が意味をなさなくなります。実体としての色がないのですから、なぜもへったくれもないのです。文字通りの色即是空。般若心経の起源は6世紀よりも前と言われていますが、ニュートンの時代よりもはるか昔に悟っていたのです。
カラーでしか見られないからこそ、モノクロ。
では、人間があれだけ一生懸命頑張ってカラーで撮れるようになったのに、なぜわざわざモノクロで撮るのか。というより、むしろカラーでしか眼前の光景を見ることができないからこそ、カラーが面白いからこそ、モノクロでも撮ってみたくなるのかもしれません。皆さんの記憶や夢はカラーでしょうか。モノクロでしょうか。私はどちらも基本的にカラーですが、妻はモノクロなのだそうでちょっと羨ましくもあります。これについては、私が写真をやっていることも関係しているのかもしれませんが、古いものほど色彩が薄れていく感覚があるので、記憶はいずれモノクロになるのかなと思います。小学生時代の記憶はかなり色あせていますが、何をやったかはまだ覚えています。ドラマの回想シーンもモノクロですよね。もちろんカラーでだって「コト」は写りますが、モノクロにするとさらに「コト」が見やすくなる効果があり、故に「モノクロはコトを写す」と言われるのでしょう。
ちなみに「緑はリラックス効果がある」などと言われますよね。その理由は緑が何か癒しの物質を発しているのではなく、中間色で目の負担が少ないからだと言われています。そうしたリラックス経験を重ねる中で、緑=安らぎという思い込みが獲得されることもあるでしょう。まあ最もリラックスしている時=眠っている時と考えるならば、黒こそ究極の癒し効果を持つのかもしれませんが。谷崎潤一郎は「陰翳礼讃」の中で、日本建築の中でもとりわけ薄暗い厠にいると精神が休まると述べています。興味深い話です。
まだまだ語りきれない魅力を秘めたK-3 Mark III Monochrome。撮影中も撮影後も心を豊かにしてくれる、ある意味最もコスパの高いカメラです。
発売以来1年以上続けてまいりました本連載も、これにて最終回。モノクロムービーにてご挨拶に代えさせていただきます。内容はともかく、画質にご注目ください(レンズは「HD PENTAX-DA 55-300mmF4.5-6.3ED PLM WR RE」と「smc PENTAX-FA 50mmF1.4 Classic」を使用。音楽は「Akai Professional MPC LIVE II」で制作)。濁りのないグラデーション。曖昧さとは無縁の透明感。やはりただの写真機ではありませんね。
( 2024.05.28 )