PHOTO YODOBASHI
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ニコンが創立100周年を迎えるにあたり、PYとしても何か出来ないか?という話はずいぶん前からあったのだが、案の定、気づいたらこんな季節になっていた。これはいかん。なんとかせねば。しかし100年である。ほとんどの人間は100年という時間の長さを知らない。ニコンという会社の生い立ちだって、わたしが知っているのは最後の1/5ぐらいだ。だから気安く「100歳おめでとう!」とか「100年間ありがとう!」のような言葉を並べたところで、フェイスブックでよく知らない友達に誕生日のメッセージを送るみたいになってしまうのである。ぜんぜん説得力がないのだ。
しかし今われわれは、「ニコン1世紀」から「ニコン2世紀」へ移る、その瞬間に立ち会っている。これは事実だ。ならば、直接ニコンに「今」を聞いてみたい。「100年かあ。すごいよねえ」なんて感慨に浸っているのはわれわれ部外者だけで、ニコンの目はしっかりと次の100年、もっと現実的に言えば101年目に向けられている。100年だろうが、200年だろうが、すべて「今」の積み重ねなのだ。さて、話を聞くのにいちばんふさわしい人物は誰か。われわれの頭にはひとりの名前しか思い浮かばなかった。そう、後藤フェローである。
できるだけ時間をかけ、色んな話を聞きたい。カメラに関係する話も、関係しない話も。「Mr. Nikon」とも呼ばれる後藤フェローの、われわれが知らなかった部分に新たなピースを嵌めることで、その後ろにあるニコンというメーカーもまた、今までとは少し違って見えてくるのではないか。そんなことを考えた。「後藤フェローと一泊二日を共にし、一緒に遊びながらインタビューをする」という企画書は、改めて見ると書いた本人でさえ鼻で笑いたくなる代物だったが、わりと真顔でご説明差し上げたところ、なんとOKが出た。ニコンというのは懐の深い会社である。
聞き手:K(PY編集部)
写真:後藤哲朗(株式会社ニコン) / K / Z II(PY編集部)
文:NB(PY編集部)
ニコン100周年記念 PY特別インタビュー 後藤フェローにいろいろ聞きました。
第1回 嬉々としてクルマ遊びに興じる
まずはひとしきりクルマの話を
午前8時30分。「ぶおぉぉぉぉぉおん」という野太いエキゾーストノートとともに、真っ赤なトヨタ86がサーキットに入ってきた。パーキングスペースの前にキュッと車を停めると、電光石火のリバースギアで枠の中に寸分の狂いなく収める。走りがキビキビとしていて若々しい。
後藤フェローのクルマ好きは有名である。特にここ数年はサーキットでのスポーツ走行を楽しまれていることもよく知られている。実は編集部Kも大のクルマ好きなことから、「サーキットでクルマ遊びをしながら話を聞く」という(いささか安直な)アイディアが生まれた。クルマの話で大いに盛り上がり、肝心のカメラの話などまったくしないかもしれない。その可能性は大いにあったが、まぁそれはそれで構わなかった。理由は先に書いた通りである。「とりあえず流れに任せる」。そんな、ゆるゆるのスタートであった。
編集部K(以下「K」): おはようございます。
後藤フェロー(以下「G」): おはようございます。いい天気でよかったですね(※実はこの2日前まで台風で大荒れの天気だった)。
K: これが後藤フェローのお車ですね。86なのは存じ上げていましたが、赤だとは知りませんでした。
G: 黒と悩んだんですけどね。今思えば赤にしてよかったです。でも内心は黄色が…
K: 発表になって、すぐにオーダーされていましたよね?
G: それでも予約が殺到していたようで、デリバリーまでかなり待たされましたね。
K: あれ?なんか後づけのスイッチがついてますよ。これはキルスイッチと、あと一つは…
G: あ、よく気づきましたね。両方ともこの間つけたんです。触っても大丈夫ですよ。だってただのダミーですから。
K: わはは。後藤フェロー、お茶目ですね。
K: あっ、バケットが入ってる!(笑)
G: 孫のチャイルドシートです(笑)
K: お孫さんは男の子ですか?
G: いや、女の子です。私は男なら二人育てましたが、やっぱり男の子とはいろいろ違いますね。車になんてまったく興味を示しません。
K: どうですか、まずはひとっ走りされて来られては。
G: そうですか。じゃ、ちょっと行ってきます。
K: おっと、その前に。せっかくナンバープレートを作って来たので。
G: おっ、43-86!
K: こっちは24-70です。
G: (笑)いや、実はですね、この86が納車される時、ナンバーは43-86を考えていたんですよ。
K: そうだったんですか!あながち冗談でもなかったんですね。
後藤フェロー、まずは愛車トヨタ86でコースイン。タイトなコーナーを短いストレートで繋いだ小さなコース。ゆっくり流すのかと思いきや、想像以上に元気のいい走りでびっくり。
G: 3速から上は要らないですね。(※コースが狭い、の意)
K: すいません、予算の都合で(笑)。それにしても結構アグレッシブな走りですね。
G: そうですか?ゆっくり走ったつもりなんですけどねえ(笑)。そういえば、今日はPYさんもクルマを持ち込まれると聞いていましたが…もしかして、アレですか?
K: そうです、アレです。
G: いいじゃないですか。
K: 実を言うと、当初はAE86を予定していたんです。ちょっと借りられるアテがあって。後藤フェローが新86なら、やはりこっちは旧86で迎え撃つべきだろうと。
G: ほう。それがどうしてロードスターに?
K: タイミングの悪いことに、つい数日前に壊れてしまったらしくて。まぁ古いクルマですからね。なので急遽これを用意してきました。
G: 私にとってはラッキーです。実はこれ、一度乗ってみたいと思っていたんです。
K: あ、お乗りになります?
G: いいですか?
後藤フェロー、今度は現行型マツダ ロードスターで2回目のコースイン。最初のうちこそ感触を確かめるようにゆっくり走っていたが、次第にアクセルを開け始める。サングラスに隠れて目は見えないが、口元が緩んでいるのが遠くからでも分かる。
G: これは楽しい。
K: どうですか?もう一台(笑)
G: いやー無理ですよ。だいたい、妻が嫌がりますね、オープンは。
K: 確かにオープンカーは女性にウケが悪いですよね。最初の10分間ぐらいは喜んでますけど、そのうち髪はバサバサになるわ、鼻の穴は真っ黒になるわ、うるさいわ、寒いわ、暑いわ(笑)。想像とかなり違うみたいで。
G: でも気持ちがいいですね、屋根が無いって。
K: 日本のオープンカーって、その昔はエスハチとかフェアレディとか、結構あったと思うんですが、そこからプツンと切れちゃいますよね。タルガトップや、もともと屋根があるクルマからの派生はありましたけど、純粋なオープンカーは空白の時代がかなり長いことありました。
G: 80年台の終わりにユーノス・ロードスターが出るまでは、そうでしたね。
K: そのロードスターが出て、堰を切ったように各社からオープンカーが出始めました。
G: ビート、カプチーノ、コペン、S2000、ソアラ…いろいろ出ましたね。
K: 国外を見ても、例えばBMWがZ3を出して来たのって、あれは絶対にロードスターの影響だと思うんですよね。
G: あの、すいません。ちょっと、幌を閉めてもう一回走ってみていいですかね?
K: 幌?もちろん構いませんが…
後藤フェロー、今度は幌を閉めた状態で再びコースイン。やがてピットに戻って開口一番、
G: うん、幌を閉めてあれば妻も文句言わないかな。
K: 買う気まんまんじゃないですか(笑)
まだまだクルマの話は続く
K: 後藤フェローのホームコースはどちらですか?
G: 袖ヶ浦のフォレストレースウェイです。
K: いつ頃からサーキット走行を?
G: まだ5年ぐらいですよ。
K: 以前からやってみたかったんですか?
G: そういうわけでもなかったんですけどね。知り合いのカメラマンにレースをやっている人がいて、その人に誘われて始めたんです。やってみたらこれが面白くて。
K: こういう言い方は失礼ですが、だいぶお年を召してから始められたわけですよね?
G: 自分では「65の手習い」と言っています。
K: 心から尊敬いたします。クルマはほぼノーマル?
G: 普段の生活でも使いますしね。お米を買いに行ったりとか(笑)。それに孫を乗せたりもしますから、足回りガチガチというわけにはいかないでしょう。そもそもお金がないし。さすがにタイヤはいいヤツに替えましたが。まぁ、少しずつ手を入れていきますよ。
K: サーキットではお孫さんのバケットシートは?(笑)
G: さすがに外しますね(笑)
K: 86って燃費はどうなんですか?
G: よくぞ聞いてくれました。これがね、スポーツカーのクセしてすごくいいんですよ。「燃費が悪くってさあ、いやんなっちゃうよ」っていう、あの自慢ができないんです。
K: 燃費悪い自慢、わかります(笑)。後藤フェローのクルマ遍歴は?
G: えーと、まず最初はスバルR-2。
K: ほう。
G: それからスズキのフロンテクーペ。ジウジアーロの。
K: ああ、あれカッコイイ!
G: そしてスターレット。FRのね。そのあとがギャラン。
K: へええ
G: で、FFセリカと来て、この86です。
K: お聞きしていると、最初のR-2はともかく、一貫してスポーティーなクルマばかりですね。
G: そうですね。やっぱりそっちが好きなんですよ。すべてマニュアルミッションですし。
K: ブレないですね。そういうお話を聞いて、さらにあの走りを見たら、もはや後藤フェローが高級セダンを運転している姿なんか想像できないです。
G: でしょう?小さくて車高が低く、ある程度馬力があるのが好きなんです。86、乗ってみてくださいよ。
K: そんな、畏れ多い…
G: いいからいいから。
Kが後藤フェローの86に乗り込んでコースイン。とは言え他人のクルマだし、その持ち主がこっち見てるしで、慎重にコースを周回。
G: 何やってるんですか。もっと踏まないと。
K: いやいや、勘弁してください(笑)
G: 86はどうでした?
K: このボディサイズに2リッターのエンジンなら、じゅうぶんなパワーですね。ボディの剛性も高いし。あと、水平対向はやはり重心が低い。荷重の移動が、クルマの腰から下だけでされているのが分かります。安定感がすごい。
2台のクルマを並べてボンネットを開ける。クルマ好きが2人集まれば必ずこうなる。興味が無い人は「エンジンなんか見てどうするんだ?」と思われるだろうが、これがクルマ好きというもの。カメラ好きがレンズの前玉を眺めてうっとりするのと同じである。
K: やっぱり水平対向はエンジンルームが美しいですよね。補機類が整然と収まる。
G: エンジンを車体の中心近くに置くこともできますしね。水平対向はエンジンの全長を短くできますから。
K: そして重心も下がる。そう考えると、いろいろ理に適っているエンジン形式なんですよね水平対向って。もちろん横幅が広がりますから、それを収めるスペースとの兼ね合いはありますが。このクルマも、カムシャフト周りや点火系の整備はさすがにやりづらそうですね。
G: トヨタに水平対向エンジンを積んだクルマって、今までありましたっけ?
K: ヨタハチ、つまりパブリカがそうですよね。
G: ああ、空冷2気筒の!
K: そうですそうです!
G: でもそのぐらいまで遡るんですね。
K: 他にもあったらしいですけど、とにかくトヨタとしては40年ぶりだと何かで読みました。
G: 今のストラットタワーバーってこうなってるんですね。左右を繋ぐんじゃなくて。
K: そうですね。以前は左右のサスペンション基部を太い棒で繋いでいましたよね。今でも本格的なレース仕様ではそうするんでしょうけど、あれはぶつけた時に反対側のサスペンションまで影響が及んでしまうので、今はこうして独立させてバルクヘッドに繋ぐんだそうです。それにあくまでも市販車ですから、クラッシャブルゾーンの確保とか、ディーラーでの整備性という理由もあると思います。
ようやく少しだけカメラの話に
K: クルマを並べてちょっと写真でも撮りましょうか。せっかくのロケーションですし。
G: ちゃんとカメラも持って来てますよ、ほら(笑)
K: 今日はどんな機材で?
G: ボディはもちろんDfです。いろいろ改造はしてありますけどね。レンズは、まずAi改造したニッコール24mm F2.8(NIKKOR-N Auto 24mm F2.8)。
K: さすがです。
G: そして、フォクトレンダーの58mm F1.4(NOKTON 58mm F1.4 SL II S)。
K: 他社製じゃないですか。
G: いいレンズですよ、これ。
ホームストレート上に、自動車雑誌によくあるような感じで2台のクルマを並べ、思い思いに写真を撮り始める。後藤フェローの撮り方を見ていると、距離を目測である程度合わせてからファインダーを覗く。ファインダーを覗いている時間は極めて短く、構えたと思ったらもうシャッターを切っている。ピント合わせや構図決めに時間をかけない。まだ若いブレッソンがスナップをしている様子を収めたフィルムを見たことがあるが、それを思い出した。これは一流のスナップシューターの撮り方である。すごくカッコいい。
K: 後藤フェロー、今日はマニュアルフォーカスのレンズをお使いですが、現行のニッコールで一番好きなレンズはなんですか?
G: 一番好きなのは本部長時代に苦労した14-24(AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED)ですね。
K: あれはいいですね。私も持っていますが、出動の機会はすごく多いです。
G: Kさんは?
K: 私は、60マイクロ(AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED)ですかね。もちろん他にもありますが、ひとつ挙げろと言われたら。
G: なんか「らしい」ですね。
K: 決して単焦点好きというわけでもないんですけどね。PYでボディのレビューをする時などは、なるべくズームを使います。もうレンズ交換が億劫で。ズーム最高ですよ(笑)
G: 43-86とか?
K: わははは。でもあれ大好きです。実は2本持ってます。
G: 変わった人ですね(笑)
K: 後藤フェローは最初からニコンに入りたくて入ったのですか?
G: いや、それが違うんです。写真は子供の頃から趣味でしたし、カメラも大好きだったんですが。私は学校で電気の勉強をしていたので、第一志望はそもそもカメラメーカーではなかったんです。
K: ええっ?
G: 悲しい紆余曲折があって、ニコンになりました。
K: そうだったんですか。それでもいくつか選択肢があったと思うのですが、ニコンに決めた理由は何だったんでしょう?
G: まず、「ここなら電気屋として楽ができそうだな」と感じたこと。それと、当時としてはお給料がよかった(笑)。
K: 不思議ですよね。それが今「Mr. Nikon」とまで呼ばれるまでになってしまうんですから。
G: ニコンという会社の水が自分に合っていた、というのはあるでしょうね。本当にいろんなことをやらせてもらえましたし、任せてもらえました。それに、それまではせいぜい露出計ぐらいだった電気回路が、カメラにとって重要な部分になり始めた時期とも一致しましたね。とにかく毎日仕事が楽しかった。
K: 入社当時のニコンのカメラというと…
G: F2でした。入社してすぐ、社員価格を月賦で買いました。
K: では仕事として携わったのは…
G: F3からです。
K: おお。そのへんの話は、今夜ゆっくり聞きましょう(笑)
そうこうしているうちに、あっという間に時間が過ぎていく。ご想像の通り、本当はもっとクルマの話が続いたのだが、もうこのへんにしておこう。
K: さて、早いものでそろそろ撤収のお時間が近づいてまいりました。
G: おや、もうそんな時間ですか。クルマの話ばかりでカメラの話をほとんどしませんでしたね。
K: 大丈夫です。そのまま書きますから(笑)
G: えーと、最後にもう2、3周してきてもいいですか?
K: どうぞどうぞ(笑)
どこまでも元気な後藤フェローであります。(続く)
( 2017.11.29 )