LEICA M10-P | SHOOTING REPORT
LEICA M10-Pは、2017年にリリースされたLEICA M10のセンサー周りなどの核となる部分を共有しつつ、デジタル水準器やタッチパネルを新たに搭載したマイナーチェンジモデルです。シャッター音は「M型カメラ史上最も静音性に優れた」ものになり、外観的には「赤バッジ」も無くすことでより控えめになり、トップカバー左側にはフィルムライカと同様の「筆記体刻印」が施されています。つまり、出てくる絵は同じだが、外観的に目立たなくなり、音も少し静かになったモデルということです。
昨今の高性能一眼レフやミラーレスカメラをお使いであれば、「そ、それだけ?」と思われるかもしれません。前面にロゴも付いておらず、ファインダーで見たその通りに写るのでもなく、マニュアルフォーカスしか出来ないカメラが、なぜこうやって世に出てくるのか。M型も「10」の「P」に至り一つの区切りを迎えた感もある今、少し考えてみたいと思います。
( Photography by A.INDEN / Text by TAK )
「控えめ」の美学
左がM10-P、右がM10です。M10-PではM10の「赤バッジ」がなくなり、マイナスネジのようなパーツを組み込むことでデザイン的調和を図っています。2018年8月21日のプレスリリース(英語)の冒頭には、「Leica M10-P: a new level of understatement」とあります。「under」+「statement」=「言い過ぎない」。つまり、最新型のM10をさらに「控えめ」にしたのがM10-Pなのです。同社のウェブサイトでは「Go unnoticed in the street.」のキャッチも踊り、誰にも気付かれずにありのままを捉えること、今風に言えば「ステルス性」を主眼に開発されたモデルであることもわかります。
シルバーの方が目立ちやすいとも思われがちですが、よりエレガントであるぶん、威圧感がないですね。赤バッジ「跡地」の「マイナス」の向きは個体によって違うのでしょうか。ともかく、どちらも実に瀟洒な佇まいですよね。
「P」=「控えめ」に至るまで
「P」とは「Professional」を意味しますが、何をもってprofessionalとするかも変化してきました。M型ライカ初の「P」がつくモデルは、1950年代に少数が製造されたLeica MPで(現行のMPは2003年に登場した別モデル)、ボディ底板部にライカビットと呼ばれる高速巻き上げ機構を搭載していました。つまり当初はより速く撮影スタンバイ状態になれるカメラとしての「P」だったのです。その後に登場した「P」モデルはブライトフレームに28mmと75mm枠を加えたM4-P(1981年)でしたが、実は初めて「赤バッジ」が付いたモデルでもありました。もっともこちらは「Leitz」という白文字をあしらったもので、ボディ前面左側に配置されていました。これらのことから「P」モデルの趣旨も、「スピード」に「多機能」や「より高い実用性」、そして多少の宣伝(?)も加味されていったことが分かります。そして現行のMP以降、「控えめであること」も条件になったようです。一度は付けた「赤バッジ」。これはこれで洗練されたデザインなのですけど、黒く塗る人もいたりして。。。そういえば、初のM型デジタルであるM8をベースにしたM8.2(「.2」は「P」と同趣旨)は黒バッジでしたね。まあそんなこんなで、M9-P以降は赤バッジを取り外すことになりました。外観上少しでも目立たないことを優先し、試行錯誤を重ねていった結果でしょう。
そこまでしてなぜライカは「控えめ」を追求するのか。おそらく、カメラが電動化され作動音が大きくなったことで目立ちやすくなり、ライカが重要視する「candid photography」(カメラを意識されることなく、あるがままを写した写真)が難しくなったのではと推察します。外観上のみならず、音でも目立たないように。これが今の「P」なのです。
M型で最も控えめなシャッター音
M10-Pのシャッター音は「M型カメラ史上最も静音性に優れた」ものになったとのことです。これは聴いていただいた方が早いですので、まずは上のビデオクリップにてご視聴ください。順番にM10-P、M10、M4(Midland Canada)、M2です。シャッター速度は1/250sです。いかがでしょうか。
M10-P、確かにかなり静かですね。間近で録音してこのレベルですよ。驚きました。これならストリートでも躊躇なくシャッターを切っていけますし、もはやフィルムのM型さえも上回る静音性です。それでいて、撮影者には確実に撮れたことがちゃんとわかるレベルの音量を「確保」していますよね。無論、デジタルとフィルムではレリーズ後の動作内容が違いますから単純比較はできませんが。M10-PはM10に比べて特に高音が効果的に抑えられている印象で、耳に触りにくく、気づきにくくなっていると思いませんか? 音量も多少抑制されている印象もあります。もちろんM10だって十分に静かなんですよ。内側に向かってくぐもるような、ダンピングの効いた精密感の高い、上品かつスイートな音がするんです。そこから高音をカットしたのがM10-Pの音で、どちらが好きかはもう好みの世界です。オーディオ的にはどちらも「音像定位がしっかりした高音質」とも言えるでしょうか。とにかく、少しでも静かさを求めるならM10-Pです。強くはないが撮影が完了したことが確実に分かる振動は両機とも同じですが、この振動の伝わり方もたまりません。良質の部品が寸分の狂いもなく組んである精密機械でしか味わえない感覚なのです。
しかしM4やM2も捨てがたい。どさくさに紛れて、機械式の時計のような1/15sや1/30sの音も聴き直してしまいました。横走りの布幕シャッターもこれまた、、、大体、音の話でここまで引っ張れるカメラなんて、どうかしてますよ(褒め言葉)。ライカ社には絶対にいますよ。調律師やオーディオマニアが。
静かさだけで言えば、無音撮影の出来るカメラを選んだっていいんです。しかしながら、全くの無音だとカメラからのフィードバックがないので、「撮れた」という感覚が分かりにくい。撮影という行為は自分とシーンとの関わりにけじめをつけることですから、それを確認してから次のシーンに移りたいのです。LEICA M10-Pは文句なし。静粛かつ節度のある音と心地よい振動。相手には警戒されず、撮影者にはそっと安心とけじめをもたらしてくれる。こういうアップデートは大歓迎ですね。この音は今後のM型のスタンダードにもなっていく予感もします。
タッチパネルや水準器の搭載が搭載され、使い勝手もより現代的になりました。ライカは本質を追求して来たメーカーです。最新技術であろうと、本質的なものなら十分に吟味した上で載っけてくるんですね。ありとあらゆる操作が出来るわけではありませんが、必要十分の内容でむしろ余計なことをしない。これくらいが良いのです。拡大したい部分をスマホのようにタップ操作で拡大できるのは、今まで背面のボタンでちまちまポイントを選択していた身にはありがたいですね。水準器も便利です。スナップが多いカメラなので、多少の傾きは気にしない、むしろ傾いていた方が良いなんてこともありますが、そうはいってもやっぱり水平垂直を意識する場面にも出くわしますから。三脚や一脚などを使った撮影でも有効でしょうね。
M10同様、消去ボタンがないのも素晴らしい。ライカにゴミ箱のアイコンは似合いませんもの。そう言えば、M10以前のデジタルにもゴミ箱アイコンは無いことに今気づきました。かわりに「DELETE」っていうボタンがありますが(笑)。ともかく、「消してる暇があったら、次の瞬間に備えなさい」ということだと思います。全くもってごもっとも。反省しております。
「Since 1954」を買う。
M10-Pとほぼ同じカメラをもっと安く作ることは可能か。手作業を機械化して、大量生産、大量販売が出来るのであれば、可能でしょう。では、手作業による部品の削り出しに、組み立てや塗装などの処理と、時間と手間を惜しまずひたすら精度を高めていくような生産を少人数でやればどうなるか。M型ライカの精度の高さは、例えばレンズをマウントするだけでもすぐに分かります。レンズをグルっと回す時のトルクが一定で、固定された時に「スチッ」「パチン」と極めて精度の高い音がします。この感触と音は初代M3からまったく変わりませんし、他の現行品ではなかなか味わえない感覚です。
歴代M型と並べても全く違和感のない、タイムレスなデザイン。たいていのカメラは時代に応じてその形も変わっていくものですが、M型ライカは1954年に誕生した初代M3からずっと「この形」です(一部モデルを除く)。ファインダー覗き窓、シャッターダイヤル、シャッターの位置を中心とした操作系の配置や、両側が丸まって手の中で転がしやすいフォルムは未だ不変なのです。M5などを見ればわかりますが、ライカ社とて形を変えたい時期はあったのです。それでもM6からまた「この形」に戻り、デジタルの今の世まで続いているのですね。
不変が生む普遍
伝説のカメラマン達をはじめとする世界中のユーザーが半世紀以上を経て「この形」で培い、体で覚えて来た操作感覚。これはフォトグラファーの文化遺産でもあり、最新のM型でも同じ感覚のままで使うことができるのです。こんなに身体性の高いカメラはちょっと見当たらないですね。カメラを設定しながら被写体に近づき、構えたと同時にレリーズまで持っていくことが出来る。この流れるようなプロセスを味わうと、もうやめられません。とにかく撮っていて気持ちが良く、最高のリズムで撮り歩くことができるのです。
二重像、上下像合致によるフォーカシングは確実性が高い上に、M10と同様高いファインダー倍率(0.73倍)のおかげでF1.0のレンズでも瞬時に合焦させることが可能です。また、何気なく見ていた眼前の光景がブライトフレームに張り付いたように美しく浮かんでくるのも、レンジファインダーのアドバンテージです。フレームの外側には、写る範囲の外側も「ちゃんと」見えています。なぜ「ちゃんと」なのか。「finder」とは「見つける道具」です。どこから見つけてくるのかといえば、周辺の状況からです。周辺があって、中心がある。ふとチャーリー浜師匠の言葉を思い出しました。どちらもちゃんと見えていなければならないのです。
「ノーファインダー」がやりやすいのもライカの特長です。状況を読み取り、予めピントを固定し、被写体を流す露出に設定。被写体が近づいてくる音を聞きながら視界の端に見えた時点で反射的にレリーズ。しかも歩きながらの撮影ですから、路面も流れています。こういう撮影はスリリングで楽しいですよね。置きピンのしやすさもマニュアルフォーカスならでは。距離指標が当たり前のように刻んであるレンズも今では少ないですからね。機構上、望遠レンズは苦手ですし一眼レフほどは寄れないのですが、被写体の息遣いを感じられる距離で撮るには最高のカメラなのです。
時代遅れのライカは無い。
という次第で、長くなりましたがM10-Pが存在する理由を考えてみました。控えめの美学、工芸品レベルのモノ作り、歴史の中で導き出されたスムーズかつ確実な操作性を手に入れ、より万全な体制で次の瞬間に備える。その対価を高いと思うかは人それぞれです。しかしながらこれだけは言えます。私個人は、100万円もらったとしても同じものは作れません。ステイタスシンボルではなく、ここぞという瞬間に確実にシンクロできる仕立ての良いカメラを、妥協することなくひたむきに作り続けている人達が今もいるのです。有難いことだと思いませんか。
「ライカとはいえ、フィルムカメラほど永く使えないのでは?」と不安な方もおられるでしょう。我が家のM8は発売後12年経った今もまだバリバリの現役で、ダイヤルの回転が少し硬くなって来たかなあというくらいです。フィルムカメラだって10年も経てばとっくにオーバーホールを受けているはずですよね。
PY編集部を含む周りのライカ人間は、デジタル、フィルムを問わず、色んなモデルを愛用しています。彼らを見ている限り、無駄なライカというものは一台もありません。彼らは特に目的がなくても常にライカをぶら下げ、琴線に触れる瞬間を見つけたかと思うと足早に近づき、静かに、嬉しそうにシャッターを切っています。そして家に帰るとライカを傍らに置き、先人がライカで残してきた瞬間を見つめ、あるいは膝を打ったり、あるいは自らの来し方行く末を重ね合わせていることでしょう。
何年か後に新型が出ても、今この瞬間に手にしたライカが色褪せることはありません。心の声に耳をすましてください。どうすべきかではない。どうしたいのか。他との比較ではない。これが好きなんだと思えた時が、その時です。
( 2018.08.29 )