久しぶりのレンジファインダーに悪戦苦闘

最近のカメラに慣れきっていて、渡航してしばらくは全然自分のものにならなかったライカ。50mmならともかく35mmをマウントすると、視差の関係から近接の際のファインダー像と上がりのギャップが大きくなりますが、脳内補正が追いつきません。毎日使っていれば違ってくるのだと思いますが。シンメトリーに撮影する難しさも然り。正直なところ「こんな面倒クセえカメラ無いなあ」と思います。しかし、ファインダーで見る映像は常にパンフォーカスで、ボケを見ない二重像合致式のフォーカシングは、シャッタータイミングに専念しやすく、旅先でこんなに機動的なカメラは無いとも感じます。システム全体でコンパクトなのも美点。いやあ、しかし最近のカメラの便利さをしみじみ感じました(笑)

M Monochromの画はプリントが楽しい

使いづらいだのなんだの言っておいて、画は本当に抜群ですね。一般的なカラーフィルタの搭載されたデジタルカメラとは違い、1画素が1ピクセルに直結することは、線の素直さと繊細な表現を可能にします。そして階調の美しさたるや、目を見張るものがあります。一般的なデジタルカメラのカラー画像を変換してもモノクロームの表現は可能ですが、一味も二味も違う画が手に入ります。撮影カット集をまとめるのに、小さなサイズでプリントしてセレクトを行うのですが、M Monochromの画はプリントするとさらに魅力を感じます。一度とことんプリントしてみたいと思わされるのですね。というわけで、近いうちに写真展をやってみたいなとも考えています。

GRの痛快さ、そして「こうなってほしい」

今回GRはサブカメラとして持ち出したのですが、小さいのに本当によく写ると感心しました。わかってはいましたが、こんなに痛快なカメラは無いと思います。今回、21mmと28mmの焦点域をカバーするカメラとして持って行きましたが、流石にファインダーを覗くカメラと、目元から離して液晶でフレームするカメラでは併用が難しかったですね。わかりきったことなのですが。ついつい「写る」ので、併用しようとしてしまうのですね。GRに関しては、あのサイズでなんとかファインダーが載れば最高なのですが。素通しのファインダーでも構わないので載って欲しいですね。ただ人とは欲張りなもので、今度は「EVFだったらなあ」と思うのでしょうね(笑)個人的には、着脱式でもよいのでEVFが使えると嬉しいのですが。

GR&ワイコン

ワイコンを一度きっちり使ってみたかったのですが、よく出来てます。画もなんとなくPLフィルタを使ったときのようにコテっとした色のりに。個人的にワイコンをつけたときの画の方が好みかもしれません。少し並べてみます。それぞれクリックで拡大します。


M Monochromとオールドレンズ達、そしてHologon

カメラ自体の解像力が高く、あのAPO SUMMICRON 50mmもM Monochromが生まれなければ必要なかったなんてエピソードも(詳しくは前回のフォトキナの際のインタビュー記事を)。現行レンズを組み合わせると「クワッ!」と唸る画を叩き出すため、そのインパクトが頭にこびりついてオールドに手が伸びないのです。今回あらためて使ってみて、オールドはオールドでいいなと感じました。つくづく感じるのは、道具というのは時と共に本当に便利になっていくものだということです。オールドもツボにハマれば、現行レンズでは味わえない魅力的な画を紡いでくれるのですが、如何せん狭いスイートスポット。反面、現行レンズは難なく安定した画を作ってくれます。フイルム時代では考えられないような解像力を求めるM Monochromは、オールドの気難しさも派手に表れてしまうのですね。あらためてそれを感じさせられました。もう一つ、筆者が大好きなCONTAX G用のHologon 16mm(Mマウントに改造)ですが、今回思う存分使いました。フイルムで使っていたレンズですが、画は大変硬く、しかし線は繊細で、ハイライトは少し滲み、派手な周辺落ちが特長のレンズです。M Monochromで使うと、周辺は落ちていると言うよりもデータがありません。繰り返しになりますが、M Monochromで使うと元々の特性が派手になりますので、本当に使いづらい(笑)しかし、なんとも言い表しがたい描写。オールドとHologonの写真を並べてみます。しかし、Hologonで撮った写真を隙間無しに並べると、見事にカットの境がわかりませんね。モノクロフイルムで撮るとコマ間がわからず、自家現像の際よくフレームの途中で切ってしまっていました。まさにこんな感じです(笑)

 

撮影・編集を終えて

今回はいつものロックンロールなレポート撮影とは違い(本当に大変)、プライベートで出かけた撮影旅行でした。したがって好きなように撮ってきたわけですが、毎度毎度のことですが、旅先の写真は呑み込まれてしまってなかなか思うようには行きません。逆に高揚してるからこそ撮ることの出来る写真もあると思いますが。デジタル時代になってからというもの、旅から戻って自分で現像作業を行うことになりました。フイルム時代に比べて旅を振り返る時間も濃密で長くなって、これはこれでいいなと思いますね。今回の撮影もRAW+JPGで、データ量にして101GB。何も写っちゃいないノイズばかりで、正直うんざりするのですが。

写真を撮っていていつも思うのは、簡単に出来はしないにしても、被写体と自分の間に生まれた空気みたいなものが写ればいいなと思います。被写体は何でもよいわけです。人であったとしても、自然風景だったとしても。対峙した狭間をフォーカスしていれば、どんな被写体だったとしても変わらないでファインダーを覗けるでしょうし、何度も撮った被写体でも毎回楽しい。逆に被写体そのものやシチュエーションにばかり頭がいってしまうと、自分自身がつまらなくなって撮り続けられないと感じます。実際そうなったこともありました。

少し話は変わりますが、旅先に出て味わう非日常とは、わりとディテイルそのものではないと思うのです。その土地にある全ての物事が重なり合って作られる雰囲気もありますし、鼻息荒く高揚して乗り込んでいる自分のテンションもあるでしょう。結局「空気」に非日常を感じているのだとよく思います。写真は旅によく似てるなと思いますが、考えてみたら簡単な話ですね。日頃もファインダーを覗いてるその瞬間が、非日常になっていれば撮っていて楽しい。旅して写真を撮るというのは、それを凝縮したようなものです。だからこそ旅先の写真は、自分で「撮れた、撮れなかった」という結果も凝縮して見える気が。個人的には撮影旅行とは、自分の写真力のリトマス試験紙みたいなものです。大抵は凹むことばかりですが、だからこその楽しさがあります。皆さんもカメラを下げて、ブラっとどうですか。

さて、我ら編集部ほど日本全国津々浦々、ヘタをすると海外まで移動してシャッターを切りまくっている部隊は無いのではと思いますが、それはもうあちこち這いずり回っております。その先々で結構面白いロケーションに出会ったり、ハプニングに出会ったり。不定期更新になりますが、そんな徒然なお話を「撮影行脚」というタイトルで今後もお届けしたいと思います。次回の予定は立っておりませんが(笑)ぜひお楽しみに。

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