PHOTO YODOBASHI

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お次は好きで集めているもの。

クルマも好きですが、空を飛ぶ乗り物も大好きです。いちばん好きな飛行機はP-51ムスタング。第二次世界大戦中の、アメリカ陸軍を代表する戦闘機です。あのスマートで、流麗なライン。そして超高性能。まさに「強いものは美しい」を体現する機体。戦後75年経った今でも、彼の地には飛べる状態の個体がたくさんあり、さらには個人所有のものも多くて、趣味でエアレースに出たりしているんだとか。なんとも羨ましい話ですな。それに引き換え、我が日本はどうでしょう。オリジナルのエンジンで実際に飛べるゼロ戦は世界にただ1機だけ(1万機以上作ったというのに!)、それも所有者であるアメリカの航空博物館がしっかり診てくれているおかげだって言うんですから、有り難いやら情けないやら。まぁ日本は未来ある若い命と優秀な飛行機のムダ遣いをしていましたから、残っている筈がないんですけどね。

で、ここからラジコンのヘリコプターに話がつながるわけです。

Photo by 510

棚にあった今でも飛ぶヤツ。どれも小さいですが、上のは結構高かったんですよ。

飛行機は小さい頃から好きでした。当時の憧れはUコン(知らないでしょ?)の飛行機。でも高くて買ってもらえませんでした。お金持ちの同級生がUコンで遊んでいるのを、下唇を噛みながら遠くから眺めていた510少年でありました。オイルの良いにおいがしましたっけ。そんなわけで飛行機は好きなものの、自分で飛ばすことには縁が無い人生だったのですが、社会人になったある日、著名な先生が監修したというペーパーグライダー「Whitewings」と出会ったのです。いずれも非常~に良く飛んだので、次から次へと何十機も作り、家の鴨居にずらりと引っ掛けて並べていました。その後、職場の仲間と一緒にゴム動力のインドアプレーンを作り、昼休みになるとスタジオや会議室で競いあったのが1980年代あたり。これが作るのにとても集中と忍耐を必要とする代物でして、なにしろ骨組みは極細のバルサ、翼にはお湯に浮かせた接着剤の膜を張るという、重さわずか数グラムのきわめてデリケートなおもちゃ。会社にあったコピー用紙の箱を「おかもち」のように加工し、その中に飛行機を宙づりにして保管していました。繊細な作りゆえ、油断するとあっという間に翼の膜が破れたり、ばらばらになってしまうからです。でも上手く飛ばすと何分間ものんびりゆらゆらと優雅に宙を舞い、それを眺めている間は仕事の憂さも忘れたものです。

ところでそれを飛ばしたスタジオは、数年後には少数の好きモノがBB弾を撃ち合う、格好のバトルフィールドになりました。考えられます? 昼休みとは言え、会社の中でサバゲーですよ?(当時はまだそんな呼称はありませんでしたが)。そして午後の始業チャイムが鳴ると、散らばった大量のBB弾を掃除機でせっせと吸い集めて証拠隠滅、翌日の対戦に備えるのです。あれが許されていたのは、きっと当時の上司O部長やM課長が苦笑いしながら大目に見てくれていたのだろうと、今になって思います。ニコン伝統のお堅い部署が多い中、われわれ電気屋集団には比較的若いヤツが多かったので、そんな「無法地帯」を満喫していました。しかしそれも一瞬。カメラの電子化が急速に進んだ結果、われわれ電気屋もそんな遊びをしている余裕は無くなり、スタジオは睡眠不足を補う昼寝の場所に変わりました。特に暗室は真っ暗な上に静かで、ぐっすり眠れるお気に入りの場所でした。どのぐらい静かだったかと言うと、始業のチャイムが鳴っても気づかないぐらい。

話を戻します。もう少し年齢を重ねて、やっと念願の電動ラジコンに手を出せました。最初からいきなり全長1メートル越えのセスナで、会社の人から譲ってもらったお古。でも勇んだ初飛行で垂直上昇垂直落下、大破してすごすごと退散。修理不能でした。やはり初心者はそれなりの機体からと反省し、小さいヤツを購入。しかし、飛行機は大小に関係なく広い空間が必要という、当たり前の事実が分かっただけでした。そんなある時、ヘリコプターなら狭い場所でも飛ばせて良いんじゃないか? と、天才的に閃いたわけです(やっと話がここまで来ました)。まだドローンはこの世にない時代です。

ある大先輩がセンサーや制御装置を満載した大型で本格的なのを買って自慢していましたが、僕には自由に飛ばせる私有地があるわけでもなく、逆にどんどん小さい方向に向かいました。今のように自動制御の技術が発達しているわけではなく、前後左右上下に加えて速度まで自分で考えながらの操縦はなかなか難しく、急な垂直上昇で天井に激突しては垂直落下の繰り返し。見失うことだけはないものの、プロペラを折っては直し、軽いのに買い替えては壊すという、一向に腕前の上がらない年月。

Photo by 510

やがてドローン時代になって操縦が容易になり、最終的に行き着いたのはこの小さいヤツ。これだけ小さいと風に弱くて、とても屋外では無理。締め切った室内でも人の動きに影響を受けます。通勤バッグにも入るので会社に持って行って会議室で遊びました。研究室員のM氏、地ベタをひたすら走るのが得意だと思っていたのに、やらせてみたらかなり上手に飛ばすのでびっくり。ついでに昼休み、居眠りしている皆の頭上を飛ばして邪魔しようと・・・これはさすがに思い止まりました。僕もそれなりの地位についていましたので。今はようやく熱も冷め、ちょっとご無沙汰です。


今、この記事を書くためにお酒のラベルコレクションをひっぱり出し、お酒をちびちびやりながら楽しかった思い出の一つ一つを懐かしく思い出しています。ひとこと書いてもらったのを読めばその時の光景が目に浮かびます。上手な字。下手な字。面白い一言もあれば、サインだけの人。どれも人柄を表しているようで愛おしい。やはりお酒は大勢で、ワイワイ楽しく飲むものですね。しかし今は悲しいかな外出自粛。ひとりでお酒を飲んだって、ちっとも美味くありません。

すいません、嘘をついてしまいました。