PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

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エリア510
Volume 5

まったく収拾のつかない蒐集、あるいは収集(その1)

前回の予告にも書きましたが、実はこのエリア510、CP+2020を題材として2回分を賄おうと準備していました。しかしご存知の通り中止に。さて困った。何か新しい企画を考えようにも、なんせ状況が状況。何かあったら大変なので実際にお会いして話を聞くのは避けたい。ましてや一緒に遠くへ出かけるなどもってのほか。そこで510さんに寄稿いただくことにしました。510さんと接していて驚くのは、とにかく古いモノや写真を今でもちゃんと持っていて、そして(ここが本当にすごいところだと思うのですが)、それが必要な時にちゃんと出てくること。つまり、「それを持っている」「それはどこにある」ということが、頭の中でしっかりデータベース化されているということです。みなさんはどうですか? 邪魔になるとすぐ捨てちゃって、しかも捨てたことを忘れて「アレどこやったっけなー、最近見たんだよなー」なんて探し回ったりしてませんか? 私はします。そんなのしょっちゅうです。でもそれが普通ですよね。「断捨離」という言葉が一般化して久しいですが、そんな概念を真正面から吹き飛ばす、510さんの「捨てない」生き方。これはなかなか興味深いと思いますよ。

会社を辞めてリタイア生活に入った結果、「お金」のことはともかく、「時間」については100%、自分のコントロール下に置かれました。僕が息をしている限り時間はそこにあるわけで、これをどう使おうと僕の自由。そんな日々がようやくやってきたのです。とは言え、お金と一緒でこれは有限。無駄遣いはしたくないので、あれやこれやと予定を詰め込み、それなりに忙しい毎日を送ってきました。ところが、予定を入れようにもそれがままならない状況になると、急に時間というものを持て余し始めます。

えっ、何の話かって? 例の新型ウィルスの影響でCP+2020などのイベントや、個人的にはもっと重要な用事(つまり飲み会)がことごとく中止になって・・・暇な510です。みなさまお元気ですか。

そんなある日、フォトヨドバシの連載コラムにふと目を留めました。

面白いじゃないですか。LOMOはそれこそ好きモノのためにあるような(ごめんなさい)カメラだし、雑誌は全部揃えれば見た目も綺麗。大きな本棚の存在も羨ましい。かくいう私も、周りからはよく「510さんはいろんなものを集められてますね」なんて言われます。でも、自分ではそんなつもりはぜんぜん無いのです。少なくとも「コレクション」と呼べるようなものではない。高邁な文化的姿勢や、主義主張や大義があって集め始めたわけでもなく、ふと手にしたものが未だに手元にあるだけの、安っすい残念なガラクタの集まり。「いやあ、止められなくてね」などと斜に構えて語るつもりは毛頭なく、その言葉に値するようなモノもありません。そう、「蒐集」ではなくて、もはや「収拾」がつかなくなっている単なる「収集」。でも、誰かには歴史的資料としての価値を褒めてもらえることを期待して、そんな話を少し。


改めて眺めてみますと、他人には、それこそ家人にだって理解できないモノばかり。ただの自分史に過ぎません。上に書いたように「集めている」というよりは「今もあるだけ」なのが実態ですが、では「なぜ今もあるのか」を自分なりに考えてみたところ、早い話「捨てないで済む理由を見つけている」のだと結論づけました。vol.3で「断捨離は難しい」と書きましたが、これはその単なる結果。集める「癖」などではなく、捨てる行動への踏ん切りが付かない、諦めが悪いことの証拠でしょう。しかも悪いことに(悪いとは思ってませんが、へへ)、それぞれに「ほらね、捨てなくて良かったでしょ?」と言い訳や実績を見つけるのが我ながら実に上手い。

そんな捨てられないモノ、既に紹介したモノも含めると大体こんな感じになります。

  • 切手
  • 体重記録
  • 46年を記録した手帳、ノート
  • 取材記録
  • ワインのラベルとコルク栓
  • レコード
  • カメラ、レンズ
  • 車のカタログ、モデルカー
  • モデルガン
  • スカッシュのラケット
  • 少年時代のモノ

集め始めたきっかけや集め方、整理の仕方はバラバラですが、それぞれの思い出はどこか似通っています。今回は初めて集めた切手についてお話しします。