PHOTO YODOBASHI

ヨドバシカメラ公式オンライン写真マガジン

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エリア510
Volume 2

懐かしの「中野」を練り歩く。

11月某日。地下鉄丸の内線・中野新橋駅。本日はここで510さんと待ち合わせ。予告にも書いた通り、今日は510さんゆかりの地、中野を一緒に歩いてみるという企画。この地で510さんは写真と出会い、カメラという機械の魅力にズブズブと嵌って行ったわけで、後の510さんを形成する、その下地を作ったのが中野だったという言い方もできそうです。いわゆるJRの中野駅近辺には今でも頻繁に出没されるようですが、住んでいた家や通っていた学校があった、もっと南のエリアにはまったく足を踏み入れていないとのこと。

私ごとで恐縮ですが、実は510さんは、PY編集部でこの連載を担当をしているわたくしNBの、小・中学校の先輩でもあります。2年前のニコン100周年特集でご一緒した時に偶然それが発覚し、以来わたくしの中では「ニコンの510さん」というより、「510センパイ」としてお慕い申し上げている次第であります。私自身もこの駅を最後に利用したのはもう30年以上前ですが、こうして見ると駅前の風景はあんまり変わっていない印象。新しく建て替えられた建物が目立つものの、幸いというべきか、今のところは大きな再開発の波に飲まれることなくあるようです。おっと、改札口から510さんが出てきましたよ。

PY: おはようございます。

510: おはようございます。それにしても(あたりを見回して)、うーん、あまりにも久しぶり過ぎるからか、懐かしいという感覚が湧いてきませんね。こんなだったかな?

PY: ええっ? 懐かしくないですか? 今日は「いやー、懐かしいなあ」って言いながら練り歩く企画なんですが。

510: まぁ、そのうちいろいろ思い出しますよ。で、今日はどんな風に?

PY: そのへんでお昼ご飯を食べながら作戦会議をしましょう。

選んだのは駅近くの、いかにも古くからやってそうな喫茶店。ランチメニューがやたら充実。店主によればもう50年近くやっているとのこと。古くからのお店がまだちゃんとあるのはいい町の証拠。

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PY: いま中野新橋駅の近くにいます。地図で言うとここですね。ここから、まず中野区立第二中学校を目指します。

510: ニチューね。僕はそれ以来ずっと中二病なんだけど。

PY: ・・・えーっと、それから当時住んでいたおうちを訪ねます。氷川神社のお近くだったとのことなので、だいたいこのへんかと。

510: 今はどうなってるんだろうなあ。まさか家はもう無いと思うけど。

PY: それから、中野本郷小学校へ。

510: 通学路を辿る感じですね。

PY: そこから、少しだけ南へ戻ります。鍋屋横丁商店街を起点からきっちり歩きたいので。

510: ナベヨコ!十貫坂!懐かしい。

PY: そうです。で、青梅街道まで行ったら少し西へ移動し、中野通りを中野駅方面。

510: その後は?

PY: 野となれ山となれ。

510: 今日、「ときのん」は定休日ではないみたいですよ。

PY: それは極めて重要な情報ですね。

510: 実は昨日も行って呑んでました、ときのん。

PY: えっ?


中野区立第二中学校

510: やっぱり。

PY: どうされました?

510: ぜんぜん違う。

PY: そうなんですか? 私がいた時からはまったく変わってないですけど。

510: そもそも校庭が無かった。

PY: 校庭が無いって・・・

510: だから運動会は他の学校の校庭を借りてやったんですよ。校舎を新しく作り替えている最中だったような記憶がある。

PY: 510さんはこの中学校を卒業されてはいないんですよね。

510: そう。中2の時に船橋へ引っ越しちゃったから。

PY: 前回、中学校の写真部の暗室で撮ったという写真が出ていましたが、あれは?

510: あれは船橋の中学校へ転校してからの写真。二中では写真部には入っていなかったので。というか、二中に写真部なんてあったのかな?

PY: 私も記憶にありませんねぇ。なんか、そういうイメージじゃないですよね、二中。

510: うんうん、確かに。(注:当時の話ですよ)

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PY: ところで510さん、中野区立第二中学校の同期に五輪真弓さんがいらっしゃったのは知っていましたか?

510: えっ? ・・・ホントに?

PY: 二中出身であることは間違いありません。生年月日を見ると、同じ学年だった筈です。

510: まったく知らなかった。自慢できるじゃん、それ。もう今さらだけど。

PY: では俳優の岩城滉一さんは?

510: えっ、彼も同級生なの?

PY: こちらも生年月日からその筈です。というか、岩城さんは小学校もご一緒ですよ。

510: はああ。


住んでいた家へ

PY: ぜんぜん変わってないですよね、このへん。

510: 建物はみんな新しくなってるのにね。道路のカタチと幅が昔のままだから、そう感じるのかな。

PY: なるほど。再開発というと、道路を拡幅したり、曲がりくねってるのを真っ直ぐにしちゃったりするから景色が一変しちゃうんですね。

510: ああ、ここだここだ。この一角に住んでいたんです。

PY: このおうちですか?

510: いや、これはその後に建ったものです。この奥にも2軒の家が建っていますが、そこまでが、私が住んでいた家の敷地でした。社宅でしたけど、こうして見ると広い敷地だったんだなあ。

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PY: ここに住んでいる時に、写真と出会ったと。

510: そう。ここで生まれて初めて「自分のカメラ」を持った。

PY: ここから始まったのかあ(しみじみ)。

510: 僕は名古屋から中野へ引っ越してきたんですよ、小学生の時に。その引っ越し前夜、引越し荷物の中に真新しいカメラの箱があるのを見つけちゃってね。もちろん知らないフリをしていたけど、「あれは僕のカメラだ!じいちゃんが買ってくれたんだ!」って、すごく興奮したのを覚えてる。

PY: それは何というカメラだったんですか?

510: フジペット。

そこへ、ご近所にお住まいと思われる高齢の女性が歩いてきました。ちょっとお話を伺ってみます。

あら、アンタここ住んでたの? へえ〜。いつ頃? そりゃまたずいぶん前だね。じゃあアンタが住んでた跡に今アタシが住んでるってわけだ。不思議だねぇ。アタシはさ、生まれも育ちも中野なんだけどね、もっと離れたところだったから、このへんの昔のことはよく知らないんだよ、悪いね。そこの奥の家を娘夫婦が買うって言ってさ、で、隣が一軒空いてるからお母さんたちも来なよ、みたいな話になってさ。わはは。この手前の家が一番古いみたいでアタシたちが来た時にはもうあったけど、ずいぶん前から空き家だよ。じゃあね。急いでるんだよ。

PY: ・・・なんか、嵐が去っていった感じですね。

510: 実に中野っぽい(笑)。でもここであの人に会えてよかったな。見ず知らずの人ではあるけれど、実はバトンタッチしながら同じ土地の歴史を作っている、共同作業者みたいなものなんですよ、僕とあのパワフルなお母さんは。

PY: なるほど、そういう見方もできますね。

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これが、その時に手にしたフジペットの現物。もう動かなくたって、レンズが曇りだらけだって、人生最初のカメラがまだ手元にあるって素晴らしい。

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名古屋時代。お正月のようですね。左が510少年。弟さん、妹さんと。手にしているのはお年玉で買ったピストル。実は、カメラと共にこれが将来に続きます。このあたり、来年取り上げてみましょうか。